2015年4月19日(日) 捨てて得る希望

 イエス・キリストはこう言いました。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マルコ10:25)

 おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。今日は、生活に深く関係する話しを、一つさせて頂きます。
 私たちの生活環境、生活空間、生活時間、それらはすべて神から与えられたものです。それらを今、どのように用いているか。そのことを神は見ておられます。いかがでしょうか。

 私たちが身の周りに置いている物は、色々あると思います。どれも必要なものだから置いているのでしょう。きちんと物も空間も時間も管理して十分生かし、そこでの活動が、結果的に人を助けたり、守ったり、励ましたりして、神の御心に適う仕方で用いていれば素晴らしいと思います。
 しかし、そのようにすることは、実際は簡単なことではありません。皆さんが今いるところはどうでしょう。例えば、たくさんの物に囲まれ、特に使わない物に埋め尽くされた空間にいる、ということはないでしょうか。

 持ち物はいるものでもいらないものでも、取っておくなら、その人にとっての財産です。捨てるべき財産に埋め尽くされている生活、というと戸惑うかもしれません。しかし、その生活が、整理整頓の技術が、あるとか、ないとかというよりも、むしろ神がどう思われるかを考えてみましょう。
 このことは、最初にお読みした聖書の言葉から教えられます。

 「神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。金持ちを、物持ちと言い換えられると思います。神の国に入ること、それは人の救いを表わし、キリスト教の救いを表現する言葉です。
 らくだが針の穴を通る方がまだ易しい、という表現は諺で、全く不可能ということを意味します。ここで、そのとおり、穴を通ろうとするらくだを、イメージしてみましょう。どうでしょう。滑稽な姿になると思います。穴に完全につっかえる。あまりに体が大きすぎてつっかえてしまう。
 そこで、イエス・キリストの言葉を少し言い換えますと、金持ちが、つまり物持ちがその物を手放すならば、その小さな針の穴をつっかえずに通れる。すっと通れる。

 もし、物持ちがきちんと物を管理し、捨てるべき物、譲るべき物を手放す時に、それは針の穴に対して、大きなつっかえになっているものを手放すということを意味するわけです。驚くべきことかもしれません。一つの小さな物、何でも無い物を手放すことが、神の目には大変大きな意味をもつことがあるわけです。

 身の周りの物で、知らず知らずのうちに、私たちの心をとらえ、神の祝福を受けるためのつっかえになっているものを、一つ一つ手放す。これも手放そう。あれももう譲ってしまおう。神が望まれるだろうから、これももう手放そう。こうして勇気を持って手放していく。すると、神は私たちを喜んで用いて下さいます。なぜなら、神の働きが表われるチャンスや、場所を豊かに備えることになるからです。

 神の為に手放すのであれば、それを神は祝福して下さいます。神の為に捨てるのであれば、神は与えて下さいます。