2015年4月12日(日) 大きな祈りを、何度でも
おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。最初に、個人的なことを申し上げて恐縮ですが、私は牧師として、一年の間にメッセージを100回以上語ります。振り返ってみて、全部覚えているかというと、その自信はありません。時間がたつにつれて、記憶から薄らいでいくメッセージがある一方で、しかし、何度でも思い起こして、ますます心に残るメッセージがいくつかあり、力づけられているものがあります。今朝はその一つを、お話ししたいと思います。
そのメッセージは、大きな事を一度だけでなく、二度も三度も、何度でも祈り求める、ということです。とてつもなく大きな問題の解決を祈り続けることは、簡単ではありませんが、それを一度ならず、何度でも祈る。私たちはその中で、神の力を教えられていきます。
とてつもなく大きな問題に直面し、祈り続けて、粘り強く祈って、やがて解決されたら、それはもう天にも昇るような喜びに満たされることと思います。「神様が、この問題を解決して下さった」と、感謝と安堵の思いに満たされるでしょう。
さて、その後です。再び似たような大きな規模の問題をまた抱えた時に、私たちはどうするでしょうか。「よし!また祈るぞ!」とか、「どんな大きな問題でも、祈って乗り越えるよ!」となるかどうかです。
おもな誘惑は、つい、問題解決は面倒だから、避けて通ってしまい、祈って向き合うことを避けてしまうことではないでしょうか。心のどこかで、あんな奇跡のようなことは二度と起こらないだろう、と思ってしまうのではないでしょうか。
しかし、神が生きて働かれているならば、また願うべきであります。問題が大きすぎる時、その問題が私たちを捕えて、祈りを辞めさせる力が働きます。しかし、そうではなくて、そこでこそ私たちは、キリストの名によって祈りもとめることを、聖書は教えています。
イエス・キリストは、僅かの食べ物を、何千人もの人の為に増やして分けたという驚くべき出来事を2回なさいました。(マルコ8:1〜10、他)神の働きを表わす驚くべきこの出来事。これが1回のみではなかったんですね。私は2回目の出来事が大変心に残っています。2回とも、ほぼ同じ出来事です。
実は、近くに主イエスの弟子たちがいて、2回ともに、この出来事が起こるとは思わなかったのです。1回目の出来事を見ていた弟子たちは、再び何千人もの人が周りで空腹になった時、本来ならば、イエス・キリストの力を信頼するべきでした。しかし、問題の大きさに心を捕らわれてしまい、困り果ててしまったのです。
弟子たちは、「いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分たべさせることができるでしょうか。」と、嘆いてしまいました。
目の前には、主イエスがおられるのだから、このように言うべきでした。「あなたを信じます。以前なさったように、また、力を表わしてください。」
弟子たちの信仰は未熟で、このように言えませんでしたが、主イエスは、以前と同じように、何千人という空腹を満たすほどに、わずかな食糧を、大きく増やされました。この神の力は、一回ではなく二回あらわされた。複数回なさったわけです。
どんな問題に直面しても、何度でもキリストの名によって祈っていきましょう。