2015年3月29日(日) 平和の王

 おはようございます。広島県竹原市にあります、忠海教会の唐見敏徳です。

 今日から始まる一週間は、教会の暦では特別な意味を持つ一週間です。受難週と呼ばれます。それは主イエス・キリストが十字架への道を歩まれた最後の一週間のことで、クリスチャンは特にこの時を主イエスの苦難を覚える時として過ごします。そして、受難週明けの日曜日は、主の復活を喜び祝うイースターです。
 受難週の始まりの日曜日は、伝統的に棕櫚の主日、あるいは枝の主日と呼ばれます。それは、主イエス・キリストがエルサレムに入られるとき、群衆が、なつめやしの枝を持って迎えたことに由来しています。今朝は主イエスのエルサレム入城の個所からお話しします。

 エルサレム入城の記事は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、4つの福音書がすべて伝えています。そのときユダヤの群衆は、木の枝や自分の服を道に敷き、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」と詩編118編のフレーズを叫びながら、主イエス・キリストを王として迎えようとします。

 この聖書個所に触れるときにわたしたちの心を引くのは、そのとき主イエスがお乗りになっていた動物のこと、すなわち、ろばです。ふつう、王が都に凱旋するときに乗る動物は馬です。ろばと比べれば、馬の方が明らかに足は速く、戦いに適していて、そして見栄えもいい。主イエスはそれをご承知の上で、あえて馬ではなく、ろばに乗ってエルサレムに入られたのです。

 マタイとヨハネは、この普通ではない王の入城のしかたについて、ゼカリヤ書の預言が実現するためであったと語ります。そして、実はまことの王にふさわしいのは馬ではない、ろばなのだと教えるのです。ゼカリヤ書9章の、ろばに乗ってこられる王の描写の続きは、このようになっています。「わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。」
 つまり、主イエスが馬に乗らないで、ろばに乗ってエルサレムに入城されたのは、私は争いを終結させ、真の平和を打ち立てる王であることの表明だったのです。

 そして、主イエスが真の平和を打ち立てる王であることが最も鮮やかにあらわされているのが、受難週のクライマックスである受難日当日の出来事、すなわち主イエス・キリストの十字架の死なのです。主イエス・キリストは、ご自身を十字架の上に和解の献げものとして献げられることによって、この世界に真実の平和を打ち立ててくださったのです。

 この主イエス・キリストによる真の平和は、すべての人に開かれています。「キリストへの時間」をお聞きの皆さんにぜひ、受け取っていただきたいと、心から願っています。