2015年2月22日(日) 私を変えた一冊の聖書
おはようございます。山田教会の門脇昭です。私は今日、私を変えた一冊の聖書ということでお話を申し上げます。
私は現在86歳です。太平洋戦争中に学校教育を受けた、数少なくなった戦中派といわれる老人です。老人は昔のことを語る癖があります。それを聞く人にはまたかという、うんざりすることでしょうけれども、しかし私はどうしても語って、多くの人々、特に若い人々にお勧めしたいことがあります。
それは、人を変える力をもっている、世界で一番読まれている書物である、聖書を読むことです。聖書を読むことにより、その人の生き方に影響を与えてきた本であるからです。私自身この本によって変えられた、そのことについてお話をいたします。
私は、家の宗教はと聞かれたならば、キリスト教と答える、クリスチャンホームで育てられたけれども、教会に行っていたのは父の在職中の5歳から7歳のあいだの3年間ぐらいであります。父が定年退職して郷里にかえってからは、母が年に1回ないし2回、高知市の教会に行く時について行ったくらいでした。
そして、小学校から旧制中学に進学し、戦いが激しくなり、国を守る一心から、陸軍士官学校を志望し合格しました。戦争中なので、多くの人々に喜ばれた。
そこで喜んでくれると思って、かねてから尊敬をしていた伯父さんのところに報告に行きました。そうすると、「なんだ!おまえは人殺しの勉強にいくのか」とひどく叱られて、それから「これを読んでみろ」と、一冊の、極めて製本の悪い、再生紙に印刷したような聖書を頂いた。その聖書が、自分の所有の最初の聖書であった。
その聖書を家において士官学校に入学し、教育と訓練を受けて、その年の8月15日終戦の日を迎えた。疎開先の群馬県中之条の小学校の校庭で陛下の敗戦の言葉を聞いたとき、私自身に不思議なことが起きました。これは、10年くらい前に教会の日曜学校で習った聖書の言葉を思い出されたからです。その言葉は、「せんかたつくれど望をうしなわず」「神は愛なり」と、ふたつの御言葉でありました。
そして、これからだ、と思った。その8月下旬、家に帰って、伯父さまから頂いた聖書を、赤線、青線をひきながら、むさぼるように読みました。何回も読みました。製本が悪かったので、バラバラになり、今どこを捜しても見つかりません。しかし、私の心に感銘を残し、これだと心にきざまれたものであります。そして、軍国少年が、神の国少年に変えられました。昭和20年8月、17歳の暑い夏でした。
それから求道して昭和22年7月、松山にて、日本基督教団松山教会で悔い改めて、イエス・キリストを救い主として信じて、洗礼を受け、キリスト信者になりました。19歳の愛媛高等農林学校(現在愛媛大学農学部)の学生のときであります。
そして卒業後郷里高知県に帰り、改革派山田教会に転会し、ずっと教会生活を喜びながら、また祈りながら、今まで恵まれた時を持ちました。心から神様に感謝しています。
この喜びの人生のはじまりは、一冊の聖書からです。ぜひ、聖書を手にもって読んでいただきたく、このことをお勧めいたします。