2015年1月25日(日) 同行二人

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 この数年、弘法大師、空海によって開かれた「四国八十八箇所霊場と遍路道」を世界遺産として登録しようという動きがみられます。「世界遺産」とは、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づいて世界遺産リストに登録された遺跡、景観、自然など人類が共有すべき普遍的価値をもつ、移動が不可能な物件を指すそうです。日本でもすでに「広島の原爆ドーム」や「知床」「屋久島」などいくつかの文化遺産、自然遺産が登録されています。しかし現在のところ、四国には世界遺産に登録されているものはありません。そこで「四国八十八箇所と遍路道」を是非登録したい、という動きも理解できます。

 私も四国生まれの四国育ちで、八十八箇所めぐりのことを「お四国さん」巡礼者のことを「お遍路さん」という言葉で、慣れ親しんできました。隣近所のお年寄りが、「人生の終わりが近づいて、お大師さんの御利益にあやかりたい」と口にしているのを耳にしたこともあります。最近では、巡礼者の中に二、三十代の若い世代の方や、時には外国の方の姿も見られるようになりました。それだけ、古今東西を問わず、多くの方が心の依りどころ、平安を求めておられるということでしょう。
 「お遍路さん」の傘に書いてある「同行二人」という言葉は、遍路の道中、弘法大師がいつも一緒に歩いて下さる。目に見えなくても、そう思う人の傍らに必ずいて下さる、という意味だそうです。この「同行二人」という言葉を聞いて、思い出される聖書の話があります。

 かつて、エルサレムからエマオという故郷の村へ歩いているイエス・キリストの二人の弟子がいました。彼らは、自分たちの人生のすべてをかけて従おうと一大決心してイエスについて行ったのですが、そのイエスがユダヤ人当局者の手によって捕えられ、裁判にかけられ、しかも当時のローマ帝国の極刑である十字架に処せられてあっけなく亡くなってしまったのです。あまりのことに失望落胆し、これからどうしていいかもわからないまま、仕方なく故郷に帰ろうとしているところでした。

 溜息まじりに語り合いつつ歩を進めていた彼らに、一人の人が近づいてきて同じ方向に歩き始められました。この方こそ彼らが望みをかけてきたイエス・キリストその方だったのです。しかし、残念なことに彼らの目がさえぎられていたので、イエスだとは分かりませんでした。イエスは、この二人に、ご自分について書かれていることを聖書から説き明かされました。聖書全体がキリストを指し示しています。その話を聞きながら、いつしか、二人の弟子の心は燃えていました。そして、もっと続きを聞きたいと同じ宿に泊まるようにイエスを引き止めたのです。
 ともに食卓につき、イエスがパンを手にして裂かれた時、改めて二人は、このお方が、復活されたイエス・キリストであることがわかりました。その瞬間に、イエスのお姿は見えなくなりましたが、二人はむしろ、希望と喜びに満たされたのでした。

 イエス・キリストは、今も生きておられ、私たちのすぐ傍らにおられ、絶望の淵にあるものと共に歩んで下さる、まさに「同行二人」のお方です。私たちの目には見えませんが、教会の礼拝の場に臨在されています。
 ラジオの前のあなたも、イエス・キリストに会いに行かれませんか。