2015年1月4日(日) イエスの大切な羊

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。皆様、神の恵みの下に、新しい年2015年を迎えられたことと思います。
 「一年の計は元旦にあり」ということで、多くの方が、神社仏閣に詣でて、一年の家内安全、無病息災を祈願します。今年の干支は未(ひつじ)年です。あなたは羊と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。広大な草原を駆け巡る羊の群れを想像するでしょうか。私たち日本人にとって、小羊の何となくかわいらしいイメージはあっても、実物の羊はあまり目にすることもなく、なじみの薄い動物の一つでしょう。しかし、冬になると私たちが身に着けるセーターやマフラーなどは、羊の毛で作られています。実際に羊を飼育している地方では、チーズやヨーグルトのような乳製品も羊の乳から作ったりして、日常生活に欠かすことのできない貴重な動物です。

 聖書には、羊にまつわる話が多く出てきます。聖書の舞台となったイスラエルでは、古来より羊は日常的に飼育されていたようです。羊飼いは、羊を外敵から守るために、羊が飛び越えられない高さにまで石垣を積み上げて囲いを作り、夜になると羊をその囲いの中に入れました。朝になると羊飼いは、羊の群れを1匹ずつ呼びながら囲いの外へ連れ出します。そして羊飼いは群れの先頭に立って羊を牧草地へと導いていくのです。そうして日中は、羊の群れを広大な草原の上にはべらせ、水を飲ませ、日が傾きかけると再び、群れの列を整えて、寝床に連れ帰るのです。

 イエス・キリストは、一つのたとえ話をされました。100匹の羊を持っている人がいて、ある日その1匹を見失ったとしたら、彼は99匹を野原に残してでも、見失った1匹を見つけ出すまで捜し回るであろう。そして、ようやく見つけたなら、その喜びは実に大きく、その羊を担いで家に帰り、友達や大勢の人を招いて一緒に喜んでくれるように言うであろう、というものです。おそらく、群れから迷い出たこの1匹の羊は、目の前に広がる草原に夢中になっている間に群れから離れてしまい、羊飼いの呼ぶ声の届かないところにまで行ってしまったのでしょう。気づいた時には、仲間はおらず、自力で帰ることもできずに、羊飼いを求めてメエメエと鳴くばかりでした。羊飼いは、100匹もの羊を飼っている人です。1匹くらいいなくなっても、まだ手許には99匹もの羊がいます。しかし、この羊飼いにとって、この失われた1匹は、失ってはいけない、かけがえのない貴重な1匹なのです。100匹の羊を所有してはいても、1匹1匹に名前を付け、各々の個性を知り尽くしており、彼にとっては家族も同然、大切な1匹でした。ですから、見つけた時の喜びは一層大きく、近所の人や友人にまで喜びを分かち合ってほしいと思ったのです。

 この話で出てくる羊飼いは、イエス・キリストご自身で、迷子になった羊は私たち一人ひとりです。神によって造られ、生かされている存在であるのに、それを忘れている、この世の目の前にある楽しみ、苦しみしか見えていない、そんな人間の姿です。イエス・キリストにとって私たちは誰もが失われてはいけない大切な一人であり、今もイエスは、羊がご自分のもとに立ち帰るようにと捜し求めておられます。そして、一人が帰るたびに、大喜びで迎えてくださるのです。

 今ラジオを聞いてくださっているあなたも、イエスの大切なかけがえのない羊であることを、覚えていていただきたいと思います。