2014年12月21日(日) クリスマスの喜び
おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
わたしたちの住むこの日本においてもクリスマスは一大イベントです。多くの人々がクリスマスを祝っています。
しかし、そもそもなぜ人はクリスマスを祝うのでしょうか。クリスマスの本来の意味は「キリストの降誕、誕生をお祝いする日」ということです。このことは日本においても知られているのだと思います。しかし、知識として知っていたとしても本当に「キリストの降誕、その誕生」を喜び、お祝いしている人はどれほどいるのでしょうか。
イエス・キリストがお生まれになった日、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの番をしていました。羊飼いたちはずっと羊の群れを見張っていなければなりません。それゆえ当時ユダヤ人たちが守っていたさまざまな規則や戒めを守ることができませんでした。そのため人々から見下げられ、軽蔑されていました。しかし、まさにそういう人々のもとに、社会の底辺にいるような人々にクリスマスの最初の知らせは届けられたのです。主の天使は彼らに近づき、主の栄光が彼らの周りを照らしました。恐れ惑う羊飼いたちに天使は告げます。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」(ルカ2:10)
クリスマスの夜、主の天使が羊飼いたちに告げたのは「大きな喜び」でした。しかもそれは「すべての民にとって、すなわち全世界の民族にとって大きな喜びになるであろう」と言われています。では何がそれほど喜ばしいことなのでしょうか。天使は続けて語ります。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(2:11)
聖書が書かれた原文のギリシャ語を見てみますと「あなたがたのために」という言葉が強調されています。「あなたがたのために救い主がお生まれになった」。それこそ主の天使が告げる「大きな喜び」なのです。ここに出てくる「救い主」という言葉は聖書だけに出てくる言葉というわけではありません。この「救い主」という称号は、当時ローマ帝国の皇帝であったアウグストゥスという人物に用いられていました。このローマ皇帝は軍事力によって自分の民を外敵から救い、命と繁栄を保証していました。それゆえ人々は彼を「世界の救い主、救済者」と呼んだのです。しかし、そのような状況の中で主の天使は真の救い主の誕生を告げるのです。あなたがたのための真の救い主は軍事力を持ったローマ皇帝ではない、そうではなく今日ダビデの町で生まれた男の子、布に包まれ飼い葉桶に寝ている乳飲み子こそあなたがたのための救い主なのだ。
ではそれはどのような救い主なのでしょうか。ローマ皇帝のように軍事力によってわたしたちを救う、そういう救い主ではありません。イエス・キリストはむしろ「自分の民を(彼ら自身の)罪から救う」(マタイ1:21)、そのような救い主なのです。わたしたち人間は目に見える敵、軍事力をもった国家などを敵と見なし、そこから自分を救ってくれるような存在を求めがちなのかもしれません。しかし聖書が告げるように、わたしたちが本当にそこから救われるべき敵というのは自分自身の罪なのです。なぜなら罪こそがわたしたちを奴隷として支配し、遂には死に至らしめるものだからです。
イエス・キリストはそういう罪からわたしたちを救ってくださる。そしてわたしたちに「永遠の命」を与えてくださる。そういう救い主なのです。そのようなお方がわたしたちのために誕生してくださった。しかもその知らせは当時、社会の一番低い所にいた貧しい羊飼いたちに最初に伝えられたのです。それゆえ、このキリスト誕生の喜びの知らせからもれてしまうような人は一人もいません。それは全ての民にとっての「大きな喜び」なのです。「あなた方のために、今日救い主がお生まれになった」。この知らせを自分のこととして受け取るときに、わたしたちもまた本当のクリスマスの大きな喜びを味わうことができるのです。