2014年12月7日(日) アドベントの過ごし方
おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
皆さんは「アドベント」という言葉をご存知でしょうか。「アドベント」というのはラテン語で「到来」を意味する言葉です。そこから「キリストの到来」を待ち望み、準備する期間のことを言います。具体的にはクリスマスの4週間前から始まる期間です。この期間にはキリストの第一の到来であるクリスマスの準備をします。しかし、それだけではなくキリストの第二の到来、すなわちキリストが再び地上に来られることにも心を向け、それに備える時でもあります。
さて、ではそのアドベントという時をわたしたちはどのように過ごせばよいのでしょうか。教会ではこの時期、クリスマスに向けてさまざまな準備が行われます。クリスマスの飾りつけがされたり、クリスマスの劇や歌の練習が行われます。また町を歩いていましてもクリスマスのイルミネーションが輝きはじめます。そのような中で自然と心がクリスマスの方へ向いて行く、そのように思います。アドベントと言うと「うきうきわくわくしながらクリスマスを待つ」そういったイメージが強いかもしれません。もちろんアドベントにはそのような側面があってよいのだと思います。クリスマスは救い主イエス・キリストの誕生をお祝いする時ですから、期待と喜びをもってそれに備えるということは当然のことでしょう。
しかし、教会の歴史を学んでみますと、アドベントの過ごし方はどうもそういうことだけではなかったということがわかります。アドベントに関する一番古い文献によりますと、5世紀に生きていたペルぺトゥウスという司教がアドベントをどのように過ごすべきかを定めたそうです。彼はアドベントの期間中、週に三回「断食」することを定めました。「断食」というのは神様に対して「悔い改め」を表す行為です。そしてその後の教会の歴史においても、アドベントは「お祝いの期間」というよりはむしろ「断食と悔い改めの期間」として守られていったそうです。
なぜアドベントの期間中に「断食」なのか、「悔い改め」なのか。わたしたちの感覚からするとあまりピンと来ないかもしれません。わたし自身そうでした。しかし聖書に照らして考えてみますとアドベントを「悔い改めの期間」として過ごすことはとても聖書に適ったことだと思うようになりました。なぜならイエス・キリストが来られる前に、洗礼者ヨハネという人物が地上に遣わされているからです。このヨハネという人は「主イエスより先に来て、主イエスの通られる道を準備するため、整えるために」(ルカ1:76参照)神様から遣わされたのでした。ではそのヨハネは具体的にどういうことをしたのでしょうか。彼は人々に「罪の赦しを得させるための、悔い改めの洗礼」を宣べ伝えました(ルカ3:3参照)。そして実際多くの人々がヨハネのもとに来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼から悔い改めの洗礼を受けたのです。
このような聖書の記事からも、イエス・キリストをお迎えするにあたってわたしたちが根本的になすべき準備とは、「悔い改めること」だと教えられます。自分の罪を認め、告白し、そして神様に立ち帰るのです。そのことが主イエスの来られる道を準備することになるのです。なぜならイエス・キリストというお方はわたしたちに「罪の赦しによる救い」を与えてくださる、そういう救い主だからです。それゆえ自分の罪を認め、悔い改める人こそイエス・キリストを自分の本当の救い主としてお迎えすることができる。本当の喜びをもってそのキリストの到来を迎えることができるのです。
このアドベントの期間は何かと慌ただしくなる期間でもあります。しかしそのような中にあっても心を静め、自らの罪を悔い改めつつ、キリストの到来を待ち望む。そのようなアドベントの過ごし方をわたしたちも心に留めていたいと思います。