2014年10月26日(日) アーメン:主よ、まことに

 おはようございます。京都府八幡市にある男山教会の宮武輝彦です。
 今月は、神さまの救いの働きを伝える、四つの言葉を紹介してきました。ハレルヤ、シャローム、ホサナ、につづいて最後は、アーメンです。ホサナは、「主よ、救ってください」という、神さまへの祈りの言葉ですが、アーメンは、「まことに、たしかに」という、祈りの結びの言葉です。

 旧約聖書、詩編72編にはこういう言葉があります。
 「主なる神をたたえよ。イスラエルの神 ただひとり驚くべき御業を行う方を。栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ 栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。」(18-19節)
 ここでは、わたしたちを救ってくださる神さまのおられるところは、すべてのところにおよぶことが、「ほんとうに、まことだ」と信じられて、その栄光が賛美されています。
 たしかに、わたしたちが信じている神さまがおられることが当たり前であれば、わざわざ、「ほんとうだ」「まことだ」と言う必要はないかもしれません。しかしながら、キリストの救いを必要とするすべての人にとって、神さまのおられることを、あえて、「ほんとうだ」「まことだ」と繰り返して告白することこそ、むしろ必要なことなのです。

 イエス・キリストは、このように言われました。
 「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」ヨハネによる福音書14章12節から14節。
 この「はっきり言っておく」という言葉は、もともと、「アーメン、アーメン」という言葉です。つまり、イエス・キリストご自身、ここで、「このことは、ほんとうにたしかなことだ」と、注意を促しながら、とても大切な言葉を告げておられるのです。それは、イエス・キリストが、ほんとうの神様だ、と信じる人は、キリストが行う業を行う、というのです。このキリストが行う業とは、何のことでしょうか。
 それは、イエス・キリストが十字架の死から三日目によみがえられ、天に上げられたことを信じることによって、その人の内に新しい命が与えられて、生き生きとキリストにある望み、希望を抱き、祈るようになることを言っています。つまり、イエス・キリストをほんとうの神様として信じるとは、キリストの救いの業の中に、その人自身が入れられて生きること、そして、そのときその人自身の祈りは、必ず聞き届けられる、それは神様の業、神様のお働きによることだから、というのです。なんと、驚くべきことではないでしょうか。

 「アーメン」とは、キリストの恵みによって生きる人すべての祈りの言葉であり、教会の礼拝における、祈りの言葉そのものです。そして、それは、ただの決まり文句ではなく、むしろ「まことに、十字架の死から三日目に復活された主イエス・キリストは、今もここで、生きておられます」との信仰の告白そのものです。そして、「然り、わたしはすぐに来る」とのイエス・キリストご自身が再び来られる約束の言葉に対して、「アーメン、主イエスよ、来てください」と、新約聖書の最後の言葉も結ばれています。ヨハネの黙示録22章20節。
 今月は、ハレルヤ、シャローム、ホサナ、アーメンと、聖書にある四つの大切な言葉を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
 これからも、復活の主イエス・キリストを真実(まこと)に証しする、聖書の言葉に聞いてくださいますように、心から願っています。