2014年10月12日(日) シャローム:主の平和があるように
おはようございます。京都府八幡市にある男山教会の宮武輝彦です。
今月は、神さまの救いのわざを伝える四つの言葉、ハレルヤ、シャローム、ホサナ、アーメンを紹介しています。先週の「ハレルヤ」に続いて、今日は、「シャローム」です。
先週、お伝えしたように、「ハレルヤ」とは、「主をほめたたえよ」という意味で、とくに、キリスト教会において、主イエス・キリストの復活を、力強く歌う言葉です。「シャローム」は、「主の平和があるように」という言葉で、「ハレルヤ」に比べるとずっと静かでやさしい響きを感じられるかもしれません。また、「シャローム」は、「こんにちは」のように、日常の挨拶の言葉でもあります。
しかしながら、今から二千年前に、主イエス・キリストが復活されたその日に、まず、弟子たちを祝福された言葉こそ、この「シャローム」であったことを、新約聖書はこのように伝えています。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす』」ヨハネによる福音書20章19節から21節。
このように、まだ、主イエス・キリストの復活について半信半疑でありながらも、ユダヤ人からイエスの居所を追求されるのでは、と内心びくびくと恐れていたのか、弟子たちが、「自分たちの家の戸に鍵をかけて」集まっていました。すると、そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」、「シャローム」と言われたと、伝えられています。
主イエス・キリストの復活は、ただの人の蘇生ではなく、神の独り子である御方、聖なる御方の、特別な復活でした。また、この復活は、信じる者にとって、新しく生きる力そのものです。ですから、「あなたがたに平和があるように」とは、言い換えれば、「わたしが復活したからには、それを信じるあなたがたは、神をほめたたえる喜びに満たされる、おめでとう!!」ということです。
主イエスの復活に力を得た弟子たちは、主イエス御自身が、神の独り子としての使命をになって、十字架の死を負われたように、死をもいとわないで、エルサレムから始まって、世界各地の人々へ、主イエスの復活を伝えていきました。
「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」とは、主イエスご自身の力強い、派遣の命令です。このように、「あなたがたに平和があるように」とは、ただの挨拶の言葉ではなく、主イエスにとっては、死を恐れていた弟子たちの心を励まして余りある、力と喜びにあふれた宣言でした。「十字架にかけられた、わたしはこのとおり復活した。おびえることなく、大胆に、わたしのことを伝えなさい」とのメッセージこそ、「あなたがたに平和があるように」だったのです。
今日も、キリスト教会では、復活の主イエス・キリストがほめたたえられています。そして、「あなたがたに平和があるように」との主イエスの宣言のもと、これからも、世界各地の人々に、主の復活の喜びをたずさえていきます。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。…その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」。新約聖書 ローマの信徒への手紙10章17節、18節。