2014年9月21日(日) 悔いのない生き方

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 一度しかない人生、悔いのないように生きたいと願うのは、人間だれしもそうだと思います。しかし、実際の人生では、ああすればよかった、こうすればもっとよかったのに、と悔やまれることがたくさんあります。しかし、たとえそうであったとしても、人生の最後に「よかった」と思うことができれば、それ以上よい人生はないのではないかと思います。

 さて、もうずいぶん前のことになりますが、子供たちがまだ小学生だった頃、学校から文集を持ち帰ってきたことがありました。その文集には、自分の人生があとわずかだとしたら、残された日々をどのように過ごすか、というテーマで書かれた作文が載っていました。小学生にしては、ずいぶん難しいテーマだと思いました。しかし、小学生が思い思いに書きしたためた内容は、それなりにテーマをしっかりととらえていると感じました。それは、どの作文にも、後悔しない最後、思い残すことのない最後を迎えたいという願いが表れていたからです。ただ問題なのは、どういうことの中に後悔しない生き方や思い残すことのない生き方を見出そうとしていたのか、ということでした。

 何人かの男の子たちの作文に、今までできなかった悪いことをしてみたい、というような内容のものがありました。もちろん、本気でそう思っているのだとしたら、実に嘆かわしいことです。ウケを狙って、そんなことを書いているのだとしたら、少し冗談が過ぎるようにも感じました。しかしまた、そんなことで、日頃の憂さをはらそうとしているのだとしたら、なんと今の小学生はストレスフルなのだろうと、可哀想にも思いました。しかし、悪いことをすることに魅力を感じてしまうのは、何よりも人間の罪深い本性だとも思いました。

 それはさておき、後悔しない生き方、思い残すことの生き方というのは、ほんとうに実現可能なのでしょうか。したらしたで悔やむことが増え、しなかったらしなかったで思い悩むのが人間です。どんなに最善を尽くしたとしても、それでも、ほんとうにそれでよかったのだろうかと、思い悩むことから解放されることがありません。
 もっとも、そんなことを気にしたこともないという人もいるかもしれません。あまり気にしすぎて、不安な最後を迎えるよりも、何事も深く悩み過ぎず、穏やかに最後を迎えることができれば、これほど幸せなことはありません。
 後悔しない人生、思い残すことのない最後を迎えるために、取って置きの秘訣があります。それは「よかった」と思える最後を迎えることです。
 「なんと当たり前のことを!」とがっかりしたでしょうか。それができないから、後悔したり、思い残したりするわけで、そんなのなんの秘訣でもなんでもないと思われたでしょうか。確かにその通りです。
 しかし、わたしが言いたいことは、「わたしのしてきたことがよかった」とか「しなかったことがよかった」と思える人生のことではありません。そうではなく、自分でも判断のつきかねるこの人生を、わたしと共にあゆんでくださる神がいてくださる、その神と出会えたこと、そのことがよかったと思える人生です。
 人はどんなに過去を振り返ってみても、過去の事実を変えることはできません。それをどんなに悔やんでも始まりません。ただ、そんなわたしのすべてを知り、わたしの人生を導いてくださったお方がいらっしゃることを知るときに、これがわたしに備えられた最善で最高の人生だったと、ほんとうに思えるようになるのです。