2014年9月14日(日) 平和
おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
「世界が平和でありますように」という願いは、人類に共通した願いであると思います。というのも平和な世の中でなければ、幸福実現の願いも叶わないからです。しかし、誰もが平和な世界を願っていても、現実には戦いが絶えません。なぜ平和を願う気持ちが一致しているのに、現実の世界では平和を実現することができないのでしょうか。なぜ戦争は起きるのでしょうか。
ある人たちは、イデオロギーや宗教の違いが戦争の原因だと考えます。確かに政治や宗教の話になると、人は議論が白熱します。時には議論が白熱しすぎて、押し合いへし合いする事態に発展することも珍しくありません。そういう白熱からくる争いは、スポーツの世界でも起こります。熱狂的なファン同士が小競り合いを起こす光景はテレビでよく見かけます。けれども、応援するチームの違いが国同士の戦争に発展した話は聞いたことがありません。
そもそも、ほんとうに支持するイデオロギーや宗教の違いが直接の原因となって戦争に発展するものなのでしょうか。確かにかつての東西の冷戦はイデオロギーの違いがもたらしたものだと言われています。しかし、実際にはイデオロギーそのものを巡って冷戦に発展したというよりは、それぞれの陣営が世界に勢力を伸ばし、支配関係が生じて自分の陣営が不利になることを恐れた結果、力で相手を抑え込もうとしたために起こったと言った方がよさそうです。言いかえれば、相手の国がどんなイデオロギーであれ、どんな宗教であれ、自国の自由や経済に何の影響も与えなければ戦争にはならないのです。逆に同じイデオロギー同じ宗教の国であれ、自分の国の自由を侵害し、経済に打撃を与える恐れがあれば、戦争に発展することもあるのです。
しかし、イデオロギーや宗教の違いが戦争の直接の原因でないとしたら、戦争が起こるほんとうの原因はどこにあるのでしょうか。
突き詰めて考えてみると、どうやら平和の中で実現しようとしている幸福の追及が、時として平和の妨げになるという矛盾がありそうです。というのは、幸福というのは不安のない生活を基盤としていますが、ただ安心して生きていければよいというものではありません。より質の高い生活を求め、そこに生きがいを見出していかなければ、人間は幸福感を満たすことはできません。
問題なのは「より質の高い生活」の中身です。多くの人にとってそれは経済的な豊かさと結びついています。経済的な豊かさは質の良いものを世の中にいきわたらせ、質の良いものが世の中にいきわたると、経済が潤ってくるという好循環が生まれます。この状態をいつまでも世界中の人が味わうことができれば、おそらく戦争は起こらないでしょう。
しかし、現実は、この状態が長くは続かないことは明らかです。ものを作るには原材料が必要です。資源に限りがあれば、奪い合うことになるのは目に見えています。逆に資源が無限大であるとしても、消費には限りがあります。ものがあふれだせば経済が停滞してしまいます。そうなれば、力ずくで品不足の状態を造り出すか、なりふり構わず市場を拡大していくか、という短絡的な考えも起こりかねません。それを実現する短絡的な方法として戦争がもっとも安易に用いられる危険があります。もちろん、巧妙な大義名分のもとにです。
そんなバカなことはない、と思われるでしょう。幸福の追及が平和を破壊しているとは、まったく矛盾した話です。しかし、この矛盾の中にわたしたち人間の現実があるのです。そこから逃れる道は、結局、どこにわたしたちの幸福を求めるのか、ということに大きく関わってくるのではないでしょうか。