2014年8月17日(日) 人生の避難訓練
みなさんお元気ですか。わたしは高知県下でただ一つのミッションスクール清和女子中高等学校で校長として働いています黒田 朔です。毎朝のチャペルで「高校生の時に聖書の神様を信じてごらん。70歳越えても、うれしい人生生きることが出来るから…」と話します。
そこで、今日みなさんにも70歳を超えて、なお、楽しみ、喜ぶことのできる人生がある、そんなお話をしたいんです。今朝の題は「人生の避難訓練」です。
ここ高知ではテレビで毎日のように「南海トラフに起きる大地震」についての警告を伝えます。清和学園でも「今回は負傷者が一名出たことを想定して、避難訓練を行います。」と大地震に備えます。先日のことです。訓練が終わった時、市の係の方が「大地震はわれわれが生きている間には来ないかもしれませんが、生徒さんたちには必ず来ます。」とおっしゃった中で「必ず来ます」が、なにか生々しく心に響きました。でも「来ないかもしれない」と心のどこかで思ってしまいます。しかし、誰にも必ず来るものがあります。それは死です。
死は3.11のあの大津波では命拾いをした人にもやがて来ます。ところが、実際には身近な人が死に、告別式で涙を流しても、次の日の朝、わたし達は何事も無かったかのように起き、食べ、動き、そして、眠ります。まるで、自分だけは死なないかのようです。
大阪に住む兄が去年の夏、肺ガンだと分り、見舞いに訪ねました。兄は今までの経過をこんな風に話してくれました。「検査の結果『肺ガンです。このままだと後三ヶ月ですよ』と言われたんです。その時は、それまで、『ガン』というのは他人ごと、まさか自分に起こるとは思っていなかったので、『頭の中が真っ白』幸い、肺ガン専門の良いドクターに診て頂け、放射線治療と抗がん剤による治療が効果があって、一か月ほどで退院し、この間の検査では『黒田さん、ガンは消えてますよ』と言われて、大喜びをしました。でも、この肺ガン体験で生き方が変わったよ。」と一気に話す兄に「すごいね、良かったね。」と言って喜んだことでした。
「人は死ぬもの」が「わたしも死ぬのだ」に変わり、「生きていてもあと10年。それまでをどう生きれば良いか」と時間の使い方を考え始めたというのです。兄は確かに変わりました。わたし達が30年間ハワイに居る間、一度も来なかった兄が「ハワイへ行こうか」と言うんです。確かにうれしい変わりようです。しかし、ちょっと違います。わたし達に必要なのはいざというときに命を守ってくれるもの、避難訓練は命を守るためであって、それまでを楽しむためのものではありません。つまり、大切なことは津波が来た時に命を守る準備が出来ていることであって、津波が来るまで遊び楽しむことじゃないはずです。
柏木哲夫先生が「生と死を支える」という本の中で書いていらっしゃいました。「人間が不治の病にかかり、迫ってくる死を自覚しなければならなくなった時、この世の地位や名誉や財産には何の役にも立たないことを悟り始める。これまで頼りにしてきたものには、もはやすがれなくなる。これが死の現実である。人は地位や教養という衣を脱がされて、裸のままで死と向かい合わねばならない。」
19歳で熊本県からハワイに渡り、一度もふるさとの土を踏むこと無く101歳で亡くなった高見常次さんを思い出します。亡くなる日、奥様に点てて貰った大好きなお茶を頂き、家族との豊かな時を過ごし、死を前に詠み、したためられた歌です。
われはゆく 神のみそばにわれはゆく なげきこそすな つまやこどもよ
高見さんは人生の避難場所を見つけておられたので、こう歌えたのです。あなたの人生の避難訓練は大丈夫でしょうか。聖書の言葉に、
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」旧約聖書伝道者の書12章1節です。(新改訳聖書)
では来週も、この「キリストへの時間」でお会いしましょう。ごきげんよう。さようなら。