2014年7月27日(日) 神は試練を与える
おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。この番組でお話できることを、感謝しています。
今朝は、まことの神が人をどのように導くかをお話します。それを知っているなら、試練の時にも希望を持ち続けられるからです。
まず、聖書の中で、特に神様に用いられ、祝福された人達を挙げます。
たとえば、ノアの箱舟のノア、アブラハム、イサク、ヨセフ、モーセ、ダビデ、また、イエス・キリスト、パウロなど色々と登場します。主なる神に用いられた代表者として記録されています。試練の中でも、神が助け不思議な巡り合わせや、不思議な出来事を起こしたり、またその時に相応しい知恵を与えたりしました。
彼らに起こった事には共通点があります。豊かに祝福され、神の栄光が表される前に、必ず試練が与えられました。そこで、彼らは本当に苦しみ、苦悩しました。その姿は、ただの人間であってわたし達と同じ弱さを持っています。ただ一つ特別な点があったのは、試練の中でただ神を信じ、ひたすら依り頼んでいた、という点でした。
たとえば、旧約聖書の創世記でヨセフは、兄弟に嫉妬され奴隷としてエジプトに売られます。ひどい話です。さらにエジプトで真面目に奴隷をして働いていたのに、無実の罪で投獄されました。それは人生のどん底です。しかし、ひたすら神に望みをおいたヨセフは、やがてエジプトの王に目を留められ、彼の信仰から生まれる働きを必要とし、彼を総理大臣として起用したのです。人生のどん底から引き上げる神を知らされました。奴隷として売られてから何年もの時が経ちましたが、奴隷として人びとに仕え、また囚人にも仕えたことで、へりくだって人びとの為に働くことを学びました。結果、総理大臣になった時に、人びとをよく配慮できる働きをできるようになっていたのです。
もう一人、例を挙げますと、ダビデという人です。デイビッド、という名前の由来になっている人です。ダビデはイスラエルの国王として活躍する前には、大変な試練を受けました。彼は、前国王のサウル王のもとで忠実に仕えていて、神を愛してサウル王のために尽くしてきました。しかし、人びとの人気がダビデにも向いていった時、忠実に仕えるダビデにサウルは嫉妬し、命を狙い始めます。ダビデは逃亡生活を強いられ人生のどん底を経験しました。しかし神はダビデを何度も不思議な仕方で守り、やがてサウル王に代わってダビデが王になりました。ダビデは苦しい逃亡生活を通して、人の気持ちをよく理解していきました。こうして整えられたダビデを、主は用いて栄光を表したのです。
他の信仰者たちもそうですし、このようにして神様は祝福を与えてきました。特に、イエス・キリストにおいては、死のどん底まで落ちていきましたが、その三日目に復活しました。神の決定的な力を表しています。
どうして、わたしがこんな目に合うのだろうか、という事がわたし達に起こるかもしれません。でも、希望が本当の希望だと証明されるのは、試練の時です。試練の時にも希望を持つことができ、また人を愛する力を持つことができ、自分を律する力を持てる。この希望を、神は、イエス・キリストを通してわたし達に与えてくださいます。
わたし達がイエス・キリストの名を呼び、助けを求め続ける時、神はわたし達に希望を満たし、愛を満たし、必要を満たしてくださいます。
神は、わたし達を愛しておられます。そして愛する者に試練をお与えになります。それは、試練を通して神の力を表し、ますます神を知らせるためです。
わたし達は、まるで真っ暗なトンネルに入っていくような試練を受けます。トンネルの先が全く見えない。出口にいつ着くかわからない。出口まで着けない恐れに倒れてしまいそうな時、あのヨセフやダビデもトンネルを抜けたことを思い出してください。人として何も特別ではない彼らが試練のトンネルを抜けた。それは、キリストの力を信じて、必ず救いだしてくださることを忘れず、その歩みを止めなかったからです。
神はわたし達に、試練の中でも前へ進む力をキリストを通して豊かに与えてくださいます。弱さの中から、立ち上がっていく力を主が与えてくださいます。この力は、キリストを信じる者なら、誰にでも約束されています。この力を自分だけが受けるのでなく、受けた力をもって、互いに励まし合っていくことを願っています。