2014年6月22日(日) 命について

 おはようございます。高知教会の松本幸一です。今日は命についてお話してみたいと思います。
 命あっての物種、命だけはお助けください。このように命はとても大切なものだと思っていても、日頃わたし達は命に正面から向き合って生活しているでしょうか。誰も、明日は自分の命がどうなっているか知っているものはおりません。交通事故や心臓まひなどである日突然命が亡くなるかも分かりません。

 聞くところによると昔、心得ある武士は外出する時新しいさらしを巻いて出かけたそうです。いつ死んでも見苦しくないようにとの心構えであったそうです。死ぬのは誰もが嫌ですが、その心構えは常にしておくことが必要だと思います。誰しも心の奥底には死にたくないという気持ちが潜んでいるはずです。病気にかかりたくない、健康で長生きしたい、不老不死がいい、しかし命について真剣に考える人がどれほどいるでしょうか。そんなことは考えても仕方がない、死ぬときは死ぬさとうそぶいても、実はこわいのだと思います。こわいからなるべく目をそらし、考えたくないのが本音ではないでしょうか。目に見えるものではないから、どのように対処していいのかわからないとも言えます。わたしは命が失われるのはこわいと思っています。こわいから命についてよく知りたいと思います。
 命は無機質や有機質というように、科学的に割り切って考えられるものではなくまったく別のものです。わたし達はこの命が宿る体の為に食べたり飲んだりしています。生まれた時この体に命が宿り、死ぬ時命が去っていきます。

 永遠の命を得る為にはどうしたらよいでしょうか。また永遠の命とはどんな命でしょうか。誰しもこの世界で生き続けることのできないことは百も承知です。永遠の命とは、求める者に神様によって与えられる新しい命です。欲しいと思わない者にこれが永遠の命ですと差し出しても喜ばれるでしょうか。永遠の命とは、それを心から欲する者に与えられる命ではないでしょうか。永遠の命のことについては、聖書でイエス・キリストがよく教えてくれています。永遠に生きたいと思う者はどうすれば良いかということです。教会は神様を礼拝し、み言葉によって永遠の命や救いについて教えられる場所です。わたしに学びなさいとイエス・キリストはおっしゃいました。教会はキリストに従っていく者の集まりです。

 永遠の命について復活について救いについて学ぶべきことは多くあります。
 習うよりは慣れろと言いますが、信じることは、まず聞くことによってはじまると聖書にあります。聞いて判断し納得したり反論する気持ちになるにしてもまず聞くことの大切さを教えてくれています。何事も早合点しないことも大事です。

 一般的には名高い先生の講演には高いお金を払って聞きに行くではありませんか。
 キリスト教会の講演、いや説教はただで聞きに行くことができます。
 命はお金では買えません。命にはこの世の価値判断が通用しないのです。この命にまさる永遠の命がイエス・キリストを神の御子と信じる者にただで与えられるというのです。まさか、よもや、そんなことはありえないと思うことでしょうが、そのありえないことがイエス・キリストによってもたらされた永遠の命への招待状なのです。