2014年6月15日(日) 遠い昔の思い出

 おはようございます。高知教会の土田靖昭です。
 今朝は中学生の時、とても怖い思いをした登山の話をします。

 友達4人と2泊3日の予定で、標高1700メートルの三嶺に登った時のことです。土佐山田駅を出発したバスは、大栃を過ぎ順調に走っていると思いきや、いきなりエンストをして動かなくなってしまいました。代替のバスで登山口の影駅に着いたのは、午後5時近くになっていました。それから山を登り始めたのですが、真夏とはいえ、山の日は暮れやすくアルコールランプの灯りを頼りに、互いにはぐれないよう手を握りしめて暗闇の中を登りました。しかし途中で諦めてテントを張りビバークすることにしました。翌朝再び登り始め、天狗岳から三嶺への尾根伝いの縦走は、すばらしい天気と、さわやかな風、そして一面に生い茂る熊笹の緑に心いやされ、ゆうべの苦労をすっかり忘れさせてくれました。

 しかし夜には天気が変わり、夜半には雨と風が強くなり、ラジオをつけると台風の接近を知らせていました。朝には雨風共に一段と強くなり、直ぐに山を下りることにしました。登山道は視界が悪く、雨と風の影響もあって、道に迷い、薮の中に迷いこみ、やっとの思いで抜け出た所は小さな沢でした。しばらくは川づたいに山を下りることにしたのですが、最初は足首位の水が膝のところまでくるようになり、両側の崖はもう手が届かないほど高く険しく切り立っていました。このままでは鉄砲水に流されてしまうという恐怖心に襲われ、4人で必死になってどこかよじ登れる所を探しましたが見つかりません。困り果てたわたしたちの目に一本のハシゴが目に入りました。長い竹のハシゴが崖に立て掛けてあるのです。このハシゴを登れと言わんばかりに、わたしたちはそのハシゴが腐っていないことを祈りました。幸いハシゴは、わたしたちの重さを支える強度は十分にあり、わたしたちはハシゴをよじ登って、そしてやっとの思いで登山道を見つけ、無事ふもとに着くことができました。

 駅前のお店のおばさんが、びしょぬれになって山から下りてくるわたしたちを見て、お風呂を沸かしてくれました。その五右衛門風呂の気持ち良かったこと、人の親切の暖かさ、忘れることのできない大切な思い出です。わたしたちはこの山登りでいくつかの判断ミスをしてしまいました。その最たるものが、川伝いに歩いて山を下りることです。山奥の川は変化が激しく、特に大雨の降った時などは非常に危険です。そんな事を忘れて水は低い所に流れるからこのまま歩いていけばふもとに辿り着けると、簡単に考えたことです。

 わたしたちは日常生活の中で、外側から又内側から数え切れないほど、時に早急に判断をせまられて生きています。その一つ一つを冷静沈着に選び取ることはむつかしいことです。でも聖書は教えています。人間が歩むその一歩一歩は人間の自由意志による行為であるが、それは同時に人間のうちに働く神の恵みの行為でもあると。キリストがわたしたちの内に生きて働かれる時、人間の自由意志によるすべての行為は神のご支配の内にあることを忘れず、人生という山の何合目にいるのかわたしには分かりませんが、これからも感謝をしつつ、わたしの山を登って行きたいと願っています。