2014年6月1日(日) もう一つの共通語
おはようございます。久保浩文です。
皆様は、「世界共通語は何ですか」と聞かれて、何を思い浮かべるでしょうか。「エスペラント語」または、「英語」と答える方がほとんどでしょう。私も中学校に入学して、日本語以外の言語である「英語」を習い始めた頃、「外国の人と話しができる」ということで、ある種の憧れと新鮮さを覚えた事を思い出します。
最近は、日本の企業で社内での「公用語」を英語にしているところも目に着くようになりました。世界を視野に入れ、さらに世界に進出していくには、コミュニケーションを取る手段、言語として「英語」が有用だからです。国連の公用語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語の6カ国語だそうですが、英語以外の言語は、どれもなじみが薄く、文法、発音、文字ともに簡単には習得できそうにないものです。その点英語は、比較的に習得が簡単ということなのでしょうが、わたし達日本人にとっては、なかなか容易なことではありません。そこで最近は、小学校から英語が授業に取り入れられ、より低い年齢から英語に触れさせる傾向にあります。
確かにわたし達の周囲の外国の方で、英語を母国語としないアジア系の方でも英語を流暢に話しています。世界各国の文化や習慣の違いはあっても、共通の言語を通して、お互いにコミュニケーションを取り、理解を深めるためには、英語はとても便利な言語であると思います。しかしわたし達クリスチャンには、民族、人種、国境を越えた、もうひとつの共通語があります。
それは、キリスト者、クリスチャンの言葉です。聖書の神を信じて、洗礼を受けた人のことをキリスト者、クリスチャンと呼びますが、クリスチャンには共通の言葉があります。それは、「イエス・キリストを信じる信仰」において、お互いを理解し、一つになれる、ということです。イエス・キリストは、「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」と言われました。
聖書は、日本語をはじめとして、共通語である英語はもちろんのこと、様々な国の言語に翻訳され、多くの国で、他の本に比べて安く手に入れる事が可能です。つまり、世界中の人が、ほとんど母国語で日常使用している言語で、聖書の教え、イエス・キリストの福音に接することができる、ということです。イエス・キリストを信じて、クリスチャンになった者同士は、初対面の人であっても、古くからの友人や知人のようにすぐに親しく、打ち解ける事ができるのです。たとえ、日常会話に不自由はしても、信仰を同じくする者は、お互いに相通じるものがあるのです。
わたしもかつて、韓国、南アフリカを訪れる機会があり、現地の方と一緒に主の日の礼拝に与った経験があります。そこでは当然のごとく、現地の言葉で説教がなされ、讃美歌が歌われていて、その一つひとつの言葉は理解できません。しかし、同じ主イエス・キリストを信じて礼拝している、という点で、一つになることができた、と思います。主にあって、お互いに兄弟姉妹なのです。この関係は、堅く結ばれていて、この地上においてだけでなく、神の御国においても堅い絆で結ばれており、同じ神を崇め、同じ恵みに与るのです。聖書にあるとおり、「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」なのです。この豊かな恵みの言葉を、あなたにもぜひ味わっていただきたい、と思います。