2014年3月9日(日) ピンチもまたチャンス
おはようございます。清和学園の後登雅博です。
いろんなことが思い通りになったらいいな、と思うことはありませんか。人間関係のこと、経済的なこと、将来のこと。きっと、わたしたちは毎日、膨大な量の仕事や勉強や、さまざまな用事をこなしながら生きているのです。そして、思い通りにならないことが多くて、やりきれなくなることがあるのです。
人生は、映画や小説とは異なります。アメリカ映画でしたら、主人公がどんなに絶体絶命と思えるピンチになっても、必ずハッピーエンドで映画が終わります。映画であれば、わたしたちはハラハラドキドキしながらも、安心して最後まで見ることが出来ます。なぜなら、映画は作り物だからです。そして、最後は万事がうまくいくと分かっているからです。
ところが、わたしたちの人生と来たらどうでしょうか。映画の主人公のような絶体絶命の大ピンチ、というのはそんなに無いかもしれません。しかし、それでも毎日の生活の中では、大なり小なりハプニングが起こってきます。そして、何年かに一度くらいは、絶体絶命と思えるようなことも起こるでしょう。そんな時、わたしたちはどうやって、そのようなピンチを切り抜けることが出来るのでしょうか。
わたしの人生ですけれども、自分一人で生きているのではない、としたらどうでしょうか。すなわち、自分一人でピンチを切り抜けなければならないとしたら、確かに大変です。でも、あなたがピンチの時に、一人じゃないよ、と言ってくださる方がいたとしたらどうでしょうか。いやいや、ピンチの時だけではありません。実は、調子の良いときも、調子の悪いときも、ずっとあなたのことを見ていますよ、という方がいるのです。
わたしの人生ですが、わたし一人で頑張っているのではありません。わたしと共に生きてくれる方がいるのです。聖書はこう言っています。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。(ローマ信徒への手紙8:28)神は、いろんなことがうまくいくように、わたしたちと一緒に働いてくださる、というのです。
自分の人生が思い通りに行かないや、と思ってしまうのは、神の計画についてわたしたちが無知だからです。神の計画。それは、わたしたちにとってのハッピーエンドを目指しているのです。「万事が益となるように共に働く」とありました。万事というのですから、ここにはわたしたちがピンチだ、と考えることも含まれているのです。わたしにとってのピンチが、実は神にとってはチャンスであるのです。わたしにとってのピンチ。それは、わたしたちがハッピーエンドへ向かうようにと、神様が準備している伏線のようなものなのです。ですから、ピンチもまた、チャンスなのです。
わたしたちの人生ですから、わたしたちが人生の主人公です。そして、このドラマの脚本・監督は神様なのです。毎日の生活の中では、様々なハプニングが起こります。しかし、ハプニングは、ハッピーにつながっているのです。あなたの人生に起こるハプニング。それは、あなたの人生をより豊かなものにするための、神のご計画なのです。もちろん、ハプニングの最中には、苦しい思いもするはずです。しかし、神は「万事が益となるように共に働く」ようにハプニングを調整してくださるのです。神の計画を信じる時、ハプニングの中でも、神のハッピーエンドを期待することができるのです。ですから、神のハッピーエンドを信じる時、わたしたちはピンチを乗り越え、それをチャンスに変えることができるのです。