2014年3月2日(日) 神が与えられる将来と希望
おはようございます。清和学園の後登雅博です。
あなたは、今までに計画を立てたことがおありだと思います。例えば、小学生の頃、夏休みの計画を立てたと思います。長い夏休みをどの様に有効に使おうか。思いっきり遊びたいけれども、宿題もしなければならない。それで、あれこれと計画を立てたと思います。また、社会人になってからは、仕事の計画を立てたことでしょう。おそらく、1日の始まりに、今日しなければならない仕事の計画を立てると思います。
夏休みの計画も、仕事の計画も、どちらも自分にとって良いことを目指して立てるのです。つまり、自分がより良く過ごすことを考えて立てるのが計画なのです。ところがどうでしょうか。計画通りに行くこともあれば、挫折したこともあるのではないでしょうか。夏休み、7月中に宿題は全部終わらせるんだ!なんて計画を立てるのです。しかし、気がつけば夏休みの終わり近くになっても、まだどっさり宿題が残っていた、なんてことがあるのです。仕事の計画にしてもそうです。自分が予定していなかった仕事を急に頼まれたりすることもあります。上司から「どうしても今日中に仕上げなければならない。頼んだよ」などと言われると、他の仕事を後回しにせざるを得ません。
わたしたちはいつも、良い結果を目指して計画を立てます。しかし、往々にして計画倒れになることがあります。どうしてでしょうか。一つには、無理な計画を立てているからです。夏休みを思いっきり遊ぶために、宿題を早々と終わらせる。でも、7月中に全部終わらせるという計画が、そもそも間違っていたのです。また、わたしたちは将来のことを完全に見通せるわけではありません。午後になって急に仕事を頼まれてしまう。なんてことは、わたしたちの計画には入っていないのです。ですから、予定外の仕事が入ってきて、計画を上手く進められなかったりするのです。これが、人間の計画です。
しかし、神の計画は違うのです。神様は、将来何が起こるかをあらかじめご存じです。ですから、神様にとっては思いがけないハプニングというのは無いのです。また、神に出来ないことはありませんから、無理な計画を立てる、ということもありません。そうして、神が計画された良い計画は、必ずその通りになるのです。
神はどの様な計画を立てておられるのでしょうか。聖書にはこう書いてあります。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ書29:11)神様の計画。それは、わたしたちに将来と希望を与える計画である、というのです。 もしかしたら、あなたはこう言われるかもしれません。「神が良いことを計画しているなら、どうして今のわたしはこんなに苦しむのですか」。わたしたちは、将来のことが分かりませんから、現在の苦しみで心が押しつぶされそうになってしまいます。しかし、神の計画に挫折はありません。あなたの苦しみについて、神が無関心ではないのです。そして、わたしたちには分かりませんが、そのような苦しみを通してさえ、神は良いことを計画しておられるのです。最後は、神が願うとおりのことが起こるのです。神の願っていること、それは、わたしたちに将来と希望を与えることだ、というのです。
苦しみ、災いの中にあるとするなら、それはあくまでも神の計画の途中である、ということを覚えていただきたいのです。神の計画は、災いでは終わらないからです。