2014年1月19日(日) 神さまのお名前を知る
おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。
さて、今日は、神さまのお名前について、ご紹介したいと思います。神さまのお名前は、モーセという人が、神さまにその名前をたずねたときに、燃える柴の間から、神さま自ら示してくださいました。そのことが、旧約聖書の出エジプト記3章にこのように書かれています。
「モーセは神に尋ねた。わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
するとこのとき、神さまはモーセにこう答えました、「わたしはある。わたしはあるという者だ。」…「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(14節)
さらに、神さまはモーセにこう命じられました。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。 これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名」と。(15節)
このように、「主」という呼び名は、神さまご自身が、「わたしはある。わたしはあるという者」というお名前とともに示されたお名前です。
この「わたしはある。わたしはあるという者」というお名前は、神さまが、モーセにとっても、イスラエルの人々にとっても、世界の人々にとっても、はじめからおられる御方、あらゆる存在の源であるということです。
そして、見過ごしにできないことは、この主というお名前は、三人の人の名前といっしょに紹介されているということです。「アブラハム」「イサク」「ヤコブ」とは、昔、神さまが、「契約」という「救いの約束」を示してくださった人たちです。アブラハムの子が、イサクであり、イサクの子がヤコブです。つまり、神さまの救いの約束が、その約束のとおりに、アブラハム、イサク、ヤコブのうちに実現し、そして、ヤコブの子たち、イスラエルの人々が、モーセを指導者として、エジプトから救い出されるときに、示されたお名前こそ、この「主」という力強い、神さまのお名前でした。
詩篇139篇には、この神さまの圧倒的な力とその大きさに触れた人が、このように驚きの声を上げた言葉があります。
「主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。 わたしの舌がまだ一言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。 その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。」
このように、神さまのお名前を知り、その御方を呼ぶことは、わたしたちの思いを超えた、限りなく大きな存在を告白することでもあります。また、同時に神さまは、アブラハム、イサク、ヤコブと同じように、わたしたち一人ひとりの名前を知り、呼んでくださっている御方です。
そして、何よりも、この神さまが愛する独り子、イエス・キリストをこの世界の只中に与えてくださったことは、わたしたちの思いを超えた神秘であり、また、大きな恵みです。
「天の神さま、どうぞ、あなたの愛する独り子、イエス・キリストのお名前によって、この祈りをお聞きください。」と祈るたびごとに、わたしたちは、神さまの与えてくださった大きな恵みを感謝して祈るように導かれます。
それは、神さまと、その道をはずれた罪人の仲立ちとなられた、イエス・キリストこそ、わたしたちたちの主であり、わたしたちのために天に通じる祈りの道を開いてくださった御方であるからです。
どうぞ、あなたも、神さまが紹介してくださった神さまのお名前を大切にして、祈ることからはじめましょう。