2014年1月12日(日) 神さまのくださる良き物
おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。今朝も、神さまの導きの内に、ともに、イエス・キリストの言葉に耳を傾けてみましょう。
あるとき、イエス・キリストは、こう言われました。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイによる福音書7章7節)と。
この、求めなさい、とは求め続けなさい、探しなさい、とは、探し続けなさい、という事で、門をたたきなさい、とは門をたたき続けなさい、という事です。つまり、わたしたちが、何かを求めるとき、また、探すとき、門をたたくとき、あきらめないで、それが与えられるまで、求め続けるように教えられ、命じられています。
それでは、ここで、イエス・キリストがこれほどまでに求めるように、命じられるものとは、一体何でしょうか?
つづきで、こう言われています。「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。」(同7章9-11節)と。
この悪い者とは、忙しくしていても、とも訳される言葉です。つまり、親が忙しくて構ってあげられなくても、自分の子供にだけは、良い物を与えようとするのと同じように、ということです。親は、食べ物、着物はもちろんのこと、いろいろな面倒を子に見るものです。生まれたばかりの赤ちゃんは、ほんとうに、何もできない状態で生まれてきます。ただ、お母さんのお乳を求めて泣くことで、求めているものをうったえます。
この良い物とは、わたしたちを、イエス・キリストの仲立ちにおいて、神さまとの関係を深める、神の子として、受け入れてくださる、天の父である神さまがくださるものです。
それでは、わたしたちにとって、最も良い物とは何でしょうか。聖書は、いつまでも残る神さまからの良い物について、このように教えています。
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリントの信徒への手紙第一 13章13節)
ここには、天の神さまが求めるものに与えてくださる三つの良い物が明らかにされています。一つは、神さまへの信頼であり、二つ目に、神さまを待ち望むことであり、三つ目に、神さまのおっしゃることを大切し、わたしたちの身近な人たちを大事にすることです。
このことを、わたしたちは、自分の人生のすべてをかけて求めるように、イエス・キリストは命じられるのです。
考えてみれば、わたしたちの求めるものは、食べ物、着物や、身近な必要な物が多いでしょう。しかしながら、イエス・キリストのおっしゃる良い物は、そのような必要よりも、神さまとの正しい関係を持つことを大切にし、身近な人たちとの良い関係を大事にするように教えるのです。
ですから、続いてイエス・キリストはこのように言われました。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(同6章12節)と。この律法と預言者とは、神さまの言葉の全体のことです。
つまり、聖書の言葉は、人と人との関係が、神さまの良い物によって祝福されるように求めることを教えていることを明らかにしています。
わたしたちが、神さまを信頼し、神さまのなさることを待ち望むとき、わたしたちの内には、神さまと身近な人々との良い関係が深まっていきます。それは、やがて、大きな祝福となって、多くの人々の内に広がっていきます。わたしたちも、神さまのくださる良い物を少しでも大切にするとき、まず、身近な人たちとの関係が良い物に覆われていくことに気づくことができます。