2014年1月5日(日) 人生の目的とわたしたちの心
おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。今年も、わたしたちの人生の主でいます、神さまの恵みが、皆さまお一人ひとりの上に、豊かにありますように、祈りつつキリストの救いをお伝えしたいと思います。
さて、わたしたちの人生は、何のためにあるのでしょうか。ある人は、何かに成功することを求め、また、ある人は、しあわせになることを求めています。それは良いことですが、その目的が人の手に届くもので、あるいは、何かあると失ってしまうものであれば、わたしたちは、成功しても満たされず、しあわせのようで、何か足りない気持ちになるのではないか、と思います。
聖書の良く知られているイエス・キリストの言葉の一つに、「心の貧しい人たちは、幸いです。天の国は、彼らのものだからです。」(マタイによる福音書5章3節)という言葉があります。
この心の貧しさとは、神さまの働きに自分を明け渡すことを教えています。つまり、なんでも自分の力で成し遂げているように見えても、じつは、わたしたちを造られた神さまの力によって、すべてのことが導かれていることを、心の底から受け入れている人こそ、ほんとうにさいわいだ、幸せな人だ、と言うのです。
それでは、どのようにして、わたしたちは、自分の心を神さまに明け渡していくことができるでしょうか。
旧約聖書の詩編121篇には、こういう言葉があります。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。 わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。」と。
わたしたちが、自分の心を神さまに明け渡すきっかけの一つが、人間にはとうてい作り出すことのできない自然の偉大さや神秘に気づくときです。同じく詩編8篇でも、「あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。 月も、星も、あなたが配置なさったもの。 そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。」と言われています。
また、創世記1章27節には、「神は御自分にかたどって人を創造された。」とあります。
このように、天地万物の造り主である神さまのおられることを知り、認めていくとき、人間の心は、神さまに向かってその心を明け渡し始めます。それは、神さまのあり方をうつす人間の造られた目的にかなったすばらしいことなのです。
イエス・キリストの言われる心の貧しさとは、人間が、神さまの働きの大きさを認めて、その心を明け渡すことです。ですから、そのような人に、天の国、つまり、天地を造られた神さまの配慮と慰めは身近なものとして感じられるのです。
この、神さまの配慮と慰めは、すべての人に注がれています。しかしながら、それを認めて、神さまに感謝するためには、わたしたちの思いが、変えられて、神さまに向き直っていくことが大切です。これを、聖書の言葉で、悔い改め、と言います。そして、この悔い改めを、わたしたちの心に生じさせてくださるのも、神さまの霊の働きによるものです。
聖書の教えを短い問答にしてまとめた、ウエストミンスター小教理問答第一問には、人生のおもな目的について、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと、と教えられています。人間とは、じつは、はじめから、神さまとの関係を持つものとして造られ、その関係を深めていくことが、人生の道そのものです。
イエス・キリストは、神さまと人間の仲立ちとなられるために、神さまの独り子でありながら、わたしたちと同じ人間となってくださり、十字架の上で、神さまに心を明け渡す道を開いてくださいました。
この年も、聖書の言葉と、人々の証をとおして、このイエス・キリストの道を知り、心を神さまに明け渡していくことに導かれつつ、新たな思いを抱いていきましょう。