2012年12月16日(日) 羊飼いたちの喜び
おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。
イエス・キリストの誕生という事実は、わたしたちの人生を根本から変える力のあるよろこばしいおとずれです。
最初にイエス・キリストの誕生を知らされた羊飼いたちのことについて、新約聖書のルカによる福音書2章8節以下にこのように記されています。
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。(中略)羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」
このように、イエス・キリストの誕生という事実は、非常に特別な仕方でありながらも、だれもがそれを認めることができる仕方で伝えられました。羊飼いたちの証言をありのままに受け入れるとき、わたしたちも羊飼いと同じように、神をほめたたえて生きるように変えられます。
ここで注目したいのは、羊飼いたちに臨んだ天使の言葉の中に、「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と告げられていることです。羊飼いたちは、「ダビデの町」とは「ベツレヘム」のことであり、「メシア」とは預言者たちが伝え、その語られた神の言葉を信じて待ち望む、神が特別な働きのために召しだされた「油注がれた人」「キリスト」という意味をよく知っていたわけです。ですから、わたしたちは、ここに、羊飼いたちの神を待ち望む信仰を認めることもできるのではないでしょうか。
神の言葉を信じることが難しくても、神がなさったみ業とともに、そこで告げられた神のおとずれを受け入れる時、わたしたちも羊飼いと同じように、神の成し遂げられた大きな救いのみ業を見て、救い主を喜ぶことができるのです。今、わたしたちは、羊飼いたちの見た神のみ業を知るだけでなく、イエス・キリストご自身が十字架の死において成し遂げられたみ業を知ることができます。そして、この十字架の上でささげられた犠牲こそ、わたしたちの罪の償いであることを聖書はこのように告げています。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」新約聖書ヨハネの手紙一 4章9節から11節。
罪とは、神の命じられることに適わないすべてのことですが、罪のない完全に聖いお方が、罪深いわたしたちのために、御子イエス・キリストを罪の償いとしてくださったのです。
この福音を受け入れることには、どのような人種・国籍の区別もありません。羊飼いたちの小さな信仰は、今、世界のすみずみにまで拡がって、毎年、クリスマスにはとくに多くの人々に同じ神の福音が宣べ伝えられています。あなたもぜひ、この神の愛を受け入れ、神を心から喜ぶ、交わりをともにしてください。