2012年12月9日(日) キリスト誕生の事実と信仰
おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。
イエス・キリストが、今から二千年前にユダヤのベツレヘムで生まれた事実は、物証によるものというよりも、本当にあったという事実を受け入れることによって確かめらます。じつに、聖書の証言そのものが、そのような真実を幾つも重ねて出来ているといえます。その意味では、イエス・キリストの誕生の事実は、神が自ら備えられた恵みの事実として受け入れることが大切です。
新約聖書のマタイによる福音書1章のはじめは、イエス・キリストが生まれるまでの系図が書かれてあり、それの歴史の節目に、ユダヤの人々の試練が刻みこまれています。第一の節目は、神がアブラハムとその子孫を祝福することを約束され、度重なる試練の中で、ダビデを王とする王国建設を見るまでになったことです。そして、第二の節目は、神殿の準備をしたダビデ王の後継者であるソロモン王の時代に、神殿が完成し、イスラエル王国の繁栄を見ることになります。しかしながら、一つの王国は分裂し、エルサレムはバビロンによって占領され、多くのユダヤの人々はバビロンへ連れていかれる、バビロン捕囚までです。
そして第三の節目が、バビロンからユダヤの人々が帰り、まず崩壊した神殿を新しく建て直していく中で、預言者たちの語ったキリストを待ち望む人々が残され、ついにイエス・キリストの誕生を見るまでです。
イエス・キリストの誕生の次第は、マタイによる福音書1章18節以下に書かれています。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ。おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』これは、『神は我々と共におられる』という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリヤと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」
このように、イエス・キリストの誕生は、聖霊による受胎をヨセフの動揺と決心も含めてありのままに書き記しつつ、その事実の明白なことを伝えます。そして、じつに、イエス・キリストの誕生の目的そのものが、神の民を罪から救うということでした。
この罪とは、神とイエス・キリストを信じないという不信仰です。聖書が事実の証言でありながら、なお、イエス・キリストを信じることができない理由は、じつは、人間の側にあります。それを聖書では罪といい、人間の心のかたくなさを、神自ら知っておられることを明白に告げています。
ですから、聖書の事実を信じるとき、わたしたちはイエス・キリストが誕生したという事実を受け入れるだけでなく、必ず、イエス・キリストは、このわたしの罪、つまり、神とキリストを信じようとしない心をつくりかえて、神とキリストを信じて生きるようにしてくださるのです。これこそ、神の救いの恵みそのものです。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」新約聖書ローマの信徒への手紙10章17節。
今日も、わたしたちの救い主が、今、聖書のことばを聞いているお一人びとりの内に、生きて働いてくださり、神を喜ぶ人生へと招き入れられますように心から祈ります。