2012年12月2日(日) イエス・キリストというお方
みなさんおはようございます。よい朝を迎えられたでしょうか。いよいよ12月がやってまいりました。もうすぐクリスマスですね。世界中の人たちと一緒に、救い主イエス・キリストの誕生を喜び祝いましょう。さて今朝は、このイエス・キリストについてお話をさせていただきます。
この方の誕生は、今から2000年も前のことで、そのことを聖書にはこう書かれています。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなづけのマリヤと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリヤは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカ2:1-7)
イエス・キリストの誕生は、父である神の約束によるもので、信仰の父アブラハムの子孫であり、ダビデ家の系図から生まれられました。この方のご生涯は、お生まれになる700年も前に、預言者イザヤによって、次のように語られています。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。 主の御腕の力を誰に示されたことがあろうか。 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。 見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。 屠り場に引かれる羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。」(イザヤ53:1-8)
この彼こそ、イエス・キリストのことです。この方のご生涯の目的はご自分の十字架の死によって、死をつかさどる者、つまり悪魔を滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあったわたしたちを解放するためでした。
このイエス・キリストを信じ受け入れた人たちに、神は永遠の命を与えてくださり神の国へ招き、その安息にあずからせる約束を与えてくださったのです。神の安息にあずかれる者は、国籍によらず、血筋によらず、また能力、知識などによらず、行いや人の評価などによらず、ただ信仰という恵みによるのです。
イエス・キリストにのみ、救いの道があり、全ての真理があり、永遠の命があるのです。キリストのこの福音は、全ての人たちに等しく与えられているのです。教会では皆様が来られるのをお待ちしています。イエス様の福音の言葉をぜひお聞きください。