2012年11月18日(日) 暗闇の中でも

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 先日東京都内で開催されている、あるイベントに参加しました。そのイベントは真っ暗の世界を体験するという内容です。まったく目が見えないのと同じ暗闇の中を、少人数のグループで協力しながら杖を頼りに歩くという企画です。草地があったり、池の水があったり、丸太橋を渡ったり、おばあちゃんの家に靴を脱いであがったり、縁台に座ってお菓子を食べたり、飲み物を飲んだりと、盛りだくさんのことを経験しました。
 どれもこれも目が見えていれば何でもないことですが、目が見えないということがこれほど大変なことかということを、いやが上にも感じさせられました。
 もちろん、この企画の目指すところは、目が見えないことの不便さを知ってもらう、ということが第一の目的ではないようです。日常生活で普通に体験することを、普段とは違った真っ暗な世界の中で体験し、何を感じ、何に気がつくのか、それがこの企画の大きな目論見だと、わたしは勝手に理解いたしました。

 グループで暗闇の中に入ると言いましたが、どこに何があるのかまったく知らない状態では、いくらなんでも危険です。案内役として、一人の盲人の方が手引きをしてくれます。どっちに進んだらいいのか、どこに池があって、どこに橋があるのか、伝えてくれます。
 しかし、それでも自分がとんでもない方向に一人だけ進んでいるのではないかと不安になることもしばしばでした。そんなとき、前を行く人に触れたり、後ろから来る人がぶつかったりすると、妙な安心感を感じました。声もまた普段の会話以上にかけあいました。自分の状態や自分が置かれている状況をしっかりと伝えることで、お互いの情報を的確につかむことができました。そんな小さなことで、一人ぼっちではない安心感を覚え、暗闇の世界を進む力を得ました。お互い初めてこの場で出会った人たちですが、終わるころには昔からの知り合いのように、和気あいあいとする雰囲気です。

 このイベントに参加した人は、それぞれに思うところがあったに違いありません。わたし自身も様々なことを思わされました。
 最初はどうしても目が見えないことの不安感が、大きく気持ちを支配します。はぐれて、どっちへ行ったらいいのか分からなくなる怖さから、人がどこにいるのか神経を集中させてしまいます。しかし、助け合う仲間が側にいて、的確な案内役が道を踏み外さないように導いてくれている安心感を実感したときに、いつしか自分が暗闇の中にいることさえ、そんなに大きな問題ではないような気持ちになりました。
 これは、人生という道のりに置き換えても同じだと思いました。いえ、目が見えているだけに、今まで大切なことに気がつかなかったのだと思いました。目が見えているから、何でも見えている、大丈夫という思い込みがあったのかもしれません。

 聖書の神は「人が独りでいるのはよくない」(創世紀2:18)とおっしゃって、人を助ける存在であるもう一人の人をお造りになりました。人間は健康であってもそうでなくても、助けるもう一人の人を必要としているのです。助け合う人たちの中でこそ、人は安心して生きることができるのだと、実感をもって聖書の言葉を思いだしました。
 しかし、人は仲間がいればうまく生きていけるのかというと、そうでもないことも学びました。あの暗闇の中で無事にすべての道を進み終えることができたのは、適切な案内役がいたからです。わたしたちの目では見えない世界を、知らない世界を、しっかりと導ける人がいたからです。そういう案内役を得ることで、安全で恐れのない生涯を安心して歩むことができるのだということを深く思いました。いったい、どなたに人生の案内役をしていただくのか、そこが大切なポイントです。