2012年9月16日(日) 聖書とは
おはようございます。高知教会の久保浩文です。
読書の秋といいますが、それは、暑い夏も去り気候的にも過ごしやすく夜の時間が長いからだと言われています。普段は忙しくゆっくりと読書をする暇がなくても、この時期には集中して今まで読まなかった本を読んでみようという方もおられるでしょう。私も読書は好きですが、ややもすると仕事に関係のある本に偏ってしまい、本当に自分が読んでみたい作家の本となるとなかなか読めないものです。いずれそのうちに読もうと思ってとりあえず買ってはみるのですが、その大半は机の横のラックに平積みされたままです。
「読書は人生を豊かにする」と言われていますように、読書を通して人生観や教訓といった生きていく上で必要な事を教えられたり、自分が経験したこともない多くの事を豊富に手っ取り早く知ることができます。日本は世界有数の出版王国と言われています。連日のように出る新聞の新刊案内の広告を見ても、膨大な量の書物が出版されていることがわかります。
ベストセラーのランク付けもされています。しかしその中でも、古今東西を問わず、世界のベストセラーと言われている書物は「聖書」です。
聖書は「本の中の本」と言われ、世界の多くの言語に翻訳され、読者層も子供から大人まで幅広い年齢層にわたっています。聖書ほど多くの人に読まれてきた本は、他に類を見ません。日本でも、私の親の世代くらいまでは、教養の一つとして青年時代に聖書を読んだことがあるという方が周囲に結構おられたものです。多くの方は、聖書の中の格言的な教えや詩歌には心惹かれ感動を覚えられたようです。
聖書についてイエス・キリストは、「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」と言われました(ヨハネ5:39)。聖書は、神の言として、神の御子イエス・キリストとはいかなる御方であり、どのような事をなさったのかが記されています。そして、イエス・キリストを通して示された神御自身のことについて記されています。しかし、聖書を神の言葉として理解し、その中に示されているイエス・キリストの救いのお働きについて信じるためには、理解を助ける手引きと聖霊という神の特別なお働きがなければ困難です。
昔、エチオピアの女王に仕える高官が遠路はるばるエルサレムまで礼拝に来て、帰る道すがら買い求めた聖書を馬車の中で熱心に読んで、自分で解釈しようとしていました。そばを通りかかったフィリポという伝道者が高官に「読んでいることがお分かりになりますか」と声をかけると、彼は「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言って、フィリポに一緒に馬車に乗って手引きしてくれるように頼みました。フィリポは求めに応じて、この人が読んでいたイザヤ書から「イエスについて福音を告げ知らせた」のです。この時に聖霊なる神が共に働いて高官の心をとらえ、この高官は「イエス・キリストを神の御子、救い主である」と信じるに至ったのです。
どうか、聖書に少しでも興味関心がおありの方は、ご自分で聖書を読むことも大切ですが、そこに証しされているイエス・キリストをより深く理解して頂くために、是非とも教会の礼拝に出席して下さることをお勧めします。そしてイエス・キリストを神の御子、救い主として信じて下さることを願っています。