2012年9月9日(日) 人生の洗濯
おはようございます。高知教会の久保浩文です。
わたしの奉仕しています高知教会は、高知市上町という所にあります。すぐ近くに坂本龍馬の生誕地があり、「龍馬の生まれた町記念館」があります。普段は閑散とした町ですが、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」の影響も手伝って、日曜、祝日ともなれば日本全国から大勢の龍馬ファンが押し寄せ、県外ナンバーの車や観光ガイドに案内されたツアー客が何組も路地裏を通りぬけていく様子を目にします。
坂本龍馬についてはたくさんのエピソードがありますが、家族や友人に多くの手紙も書き残しています。姉の乙女に宛てた手紙の中に「今一度、日本を洗濯致したく候」という文章があります。長年続いた封建制度のもたらした様々な弊害、矛盾を改善して、「もう一度、きれいな日本に戻したい」という思いを記したものと思われます。これは、わたしたち一人一人の人間にも当てはまる名言ではないかと思います。
わたしたちは皆それぞれ異なる環境の下で生まれ育ち、人生の様々な節目において多くの経験を経なければなりません。人生は山あり谷あり、涙もあれば、喜びもあります。人生は決して自分の思い通りには進んではくれません。そのような多くの経験を通して、人間はその人なりの個性が確立され、人格が形成され、品性が練られていきます。ですが、人生経験を通してわたしたちが身につけてきたものは、必ずしも良いものばかりとは限りません。むしろ、身について欲しくない悪い習慣がついたり、知らず知らずのうちにイヤな性格になっていたりする場合もあるからです。
自分自身も思春期の頃を振り返ってみると、自分自身の存在や性格に自己嫌悪を覚えたこともあったなあと思います。自分の長所よりも短所の方ばかりに心が向いてしまい、自分を積極的に受け入れることができなくなっていたのです。「何とかして、自分のこの面を取り除きたい」と真剣に思ったことがたびたびありました。
かつて書道教室に通っていた頃、慣れない間はよく服に墨汁を付けて帰宅しました。すると、必ずといって、母親に
「服についた墨汁は時間がたったらいくら洗濯しても完全には落ちんので。また服を無駄にして」
としかられたものです。今では洗剤もずいぶん良くなったようですから、昔のようなことはないでしょうが、汚れやシミは早いうちに落とした方がよいのに違いありません。わたしたち人間に付着した人生の埃や垢、まとわりついた醜いものを全て洗い流してしまう「自分自身の洗濯」も、気がついた時、思い立った時がふさわしい時なのではないでしょうか。
昔、イスラエルの国では、わたしたち人間の犯した様々な罪と汚れのために雄牛や雄山羊を屠って、その血を神の箱と呼ばれる神の臨在される所に振りかけることによって、人間の罪が赦されてきました。ですが、羊や山羊の血では完全に人間の罪を取り除くことはできません。そこで、神の御子イエス・キリストが十字架の上で血を流して下さいました。このイエスの十字架の血が自分のために流されたと信じる時に、わたしたちが過去に付けた頑固な汚れも一点の染みも残さず清められるのです。
このことを聖書は次のように言っています。
「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。」(1ペトロ1:18-19)
この大きな恵みを、あなたにも自分のものとしていただきたいのです。