2012年7月29日(日) ヨブの苦しみ
おはようございます。清和学園の後登雅博です。
旧約聖書にヨブ記と言う書物があります。ヨブという人は正しい人で神を信じる人でした。ところがある日、彼の財産である牛、羊、らくだが襲われ、殺されてしまいます。殺された牛、羊、らくだの総計は1万匹以上になります。さらに、ハリケーンが襲ってきて、ヨブの10人の息子、娘が亡くなります。どうしてこのようなことが起こったのかと言えば、悪魔がヨブの正しさをめぐって神様に挑戦したからです。悪魔は言うのです。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」(1:9-11)。
悪魔はまんまとヨブを不幸のどん底へ突き落とすことができたのです。ところが、ヨブは財産を失い、子ども達を失ったにも関わらず、神を呪うことをしませんでした。痺れを切らした悪魔は、今度はヨブ自身に攻撃を加えます。ヨブは頭のてっぺんから足の裏に至るまで、酷い病気になるのです。ヨブのあまりの変わりように、ヨブの妻は言うのです。「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」(2:9)。このセリフは、悪魔が妻に言わせたのかもしれません。ヨブは、妻からも神を呪うようにとそそのかされます。また、生きていることよりも死を選ぶようにとも言われます。本当に悲惨な状態となりましたが、ヨブは妻に言うのです。「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(2:10)。
ヨブは正しい人でしたが、どうして自分が苦しまなければならないのか全く分かりません。それもそのはず。ヨブのあずかり知らないところで、神と悪魔がヨブの正しさをめぐって争っているからです。神はヨブの正しさを確信していますし、神によってヨブの命は守られています。しかし、子どもも財産も失い、たった一人残った妻からは「死んだほうがましでしょう」と言われるのです。このような状態で、どうして生き続けることができるでしょうか。
さすがにヨブのような悲惨なことはこの世界にはないだろう、と長らく思っていました。しかし、いまやヨブと同じような体験をしている人が日本にも多くいらっしゃるのです。そうです。去年の3月に起こった東日本大震災で被害にあった方々です。住む家を失った方々、家族を失った方々、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験している方々、そのような方々を前にして言葉を失ってしまいます。まさに、現代のヨブと言えるでしょう。
全く理由の分からない苦しみというのがあるのです。でも、ヨブではありませんが、わたしたちには分からない苦しみの理由も天の神様は知っていらっしゃるのです。残念ながら、今苦しみの理由を神様に問うてみても、答えは与えられないかもしれません。しかし、神が苦しみの理由を知っているということは、神が必ず苦しみに答えを与えてくださるということです。そして、意味のない苦しみもないということです。
苦しんでいる人に対して、どのように言えば良いのかわかりません。でも、生きているということに意味があるのです。「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」。神からいただいた不幸は、必ずや神の幸福へと変わる日が来るのです。そんな日が早く来るようにと、お祈りしています。