2012年6月24日(日) アジサイ
おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
6月を彩る花と言えば、様々な種類がありますが、中でもわたしが好きな花はアジサイです。もっとも手鞠のように見える部分は、アジサイの花ではなく、正確には「がく」にあたる部分です。アジサイの花にあたる部分は、残念ながらそれほどきれいというものではありません。しかし、それでも一般的にアジサイの花といえば、あの色とりどりの手鞠のような部分を「アジサイの花」と呼んでいます。
アジサイの色が変化するのは、土壌のペーハー値によって左右されると聞きました。酸性の土壌では青に、逆にアルカリ性の土壌では赤くなると言われています。もっとも、これとても土壌のペーハー値によって必ずそうなるというわけではありません。もっと複雑な要因によってアジサイの色は変化するようです。
アジサイの花言葉も、変化するがくの色からきていると思われるものが数多くあります。たとえば「移り気」とか「浮気」とか「変節」と言ったものです。アジサイの名誉のために言いますが、アジサイ自身は決して、移り気だったり、浮気者だったり、自分の信念を時流にあわせて変えるような花ではありません。それは色が変わるアジサイを見て、人間が自分の心をアジサイに映し出しているにすぎません。まさに、人間の心こそ移ろいやすく、一つのところにとどまりにくいものです。
もちろん、そうは言っても、すべての変化を否定するためにアジサイの話を持ち出したわけではありません。人間の心も考えも、変化するからこそ、新しい文化や文明を生み出していったというのも事実です。しかし、何もかもが移り変わっていく中で、一つ変わることがないものを持つことは大切なことだと思います。枝葉末節なことがらはいくらでも変わって構いません。一つの目標に到達するために、その手段はいくらでも取りうるでしょう。しかし、肝心な軸足がふらついたり、手段が変わるうちに目的まで見失って、どこに向かっているのか分からなくなってしまったのでは、どうしようもありません。
ギリシアの格言に「パンタ・レイ」(万物は流転する)という言葉がありますが、聖書には神には移り変わりがないと記されています(ヤコブ1:17)。確かに万物は変化するものです。人間とてもその例外ではありません。人間は心も体も変化するものです。しかし、万物をお造りになった神だけは、この変化の中に含まれません。神は変わることのないお方だからです。変わることのないお方であるからこそ、頼ることができるお方です。変わることがないお方であるからこそ、道を見失いそうになったときに、道しるべとなることができるお方です。変わることがないお方であるからこそ、人生の目標として仰ぐことのできるお方です。
先日、なれない海外の街を散歩した時の話です。初めての街の上に、夜で景色も昼間見るのとは違います。あちこち歩き回っているうちに、案の上、道に迷ってしまいました。ところが、しばらく歩いていくうちに、赤く光る教会の大きな十字架が見えてきました。ホテルを出るときに見たあの大きな十字架でした。とにかくそこを目指して歩けば、もとの場所に戻れると安堵しました。
夜道に迷う時ですら、変わることのない目印が助けになるのですから、人生の道に迷う時には、なおのこと変わることのない神が、わたしたちの確かな目標となることを、改めて思いました。
アジサイの話から随分話が横道にそれてしまいましたが、アジサイに限らず、人間も時代も、あらゆる万物も変化するものです。だからこそ、変わることのない神だけがわたしたちを安全に導くことができるのです。