2012年5月27日(日) わたしがクリスチャンをやめなかったわけ 最終話
おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。
現在、「わたしがクリスチャンをやめなかったわけ」と題して4回に分けてお話しをしており、今回はその第4回です。母がクリスチャンという家庭に生まれたわたしが現在もクリスチャンである理由の中心は、「神が祈りに答えて下さるから」です。そこで、イエス・キリストの名によって祈って、わたしが恐れおののいた経験をお話ししています。
わたしは大学1年の頃、バイクを盗まれましたが、聖書には「あなたを迫害する者のために祝福を祈りなさい」(ローマ書12:14)とあるので、盗んだ人のために必死に祝福を祈り、バイクが戻ってくるように祈りました。さらに、神が全能であることを本気で信じてみようと思い、思い切ったことを祈りました。
「一週間後までにバイクを見つけてください。あなたならできます。一週間後までに見つかることを信じます。イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン」
聖書に次の言葉があります。「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(マルコによる福音書11章24節)。
一週間後は水曜でした。毎日祈り、一日過ぎて行く毎に喜びが大きくなっていきました。
「バイクが戻ってくる日が近づいていく。あと3日経ったら戻ってくる。よしあと2日、よし!あと1日」
信じきったわたしはそのような喜びがありました。そして、その水曜日になりました。
「よし!今日、バイクが見つかる日だ!」
その日は時計の針が気になりました。針が午前を過ぎ、午後から夕方へとどんどん傾いても、わたしの気持ちに全く変化はありませんでした。さらに針が進み、夜9時を回る。あと3時間、さすがに気持ちが焦ってきました。そして、夜10時になり、すっかり落ち込んでしまいました。布団の上で、
「こんなに信じたのに、やっぱりだめのかなあ」
とつぶやき、悔しさと悲しさで涙がじわりと出てきました。神にフラれた気持ちで、疲れてしまって、そのまま寝てしまいました。
やがて、扉がガチャっと開く音で目が覚めました。見ると、母が神妙な表情をして立っていました。母は言いました。
「今、警察から電話があってバイクが見つかったってよ」
起きて、電話に出ると確かに警察の人でした。この警察の人は、愛知県名古屋市の緑警察署の方です。
「お宅の盗まれた原付、犯人をとらまえて、見つけたから」
そう言って、その後、バイクの色や形、鍵や鍵についてるキーホルダーの柄など色々聞かれ、後日取りに来てくださいと言われて電話を切り、時計を見ました。時計の針は、午前0時50分でした。でも、わたしにはもう十分でした。バイクが発見されたのは午前0時前の水曜日だったのかもしれません。でも、もう調べなくても、わたしは神様に十分答えられました。後日、確かに自分のバイクが戻ってきました。改造も何もされないでそのまま戻ってきました。このことを通して、本気で信じきって祈ることを学びました。祈ったことは既に得られたと信じるとは、こういうことかと学びました。
その後父に、祈ったとおりバイクが見つかったことをどう思ったのか聞いたら、「神はいるんだと思って、神に恐れを抱いた」と言いました。父は、この出来事の後洗礼を受けました。バイクが見つかったことは、父が神を信じるためでもあったのだと思いました。確かに聖書では、神は人を救いへ導くためにあらゆる御業をなしているからです。
このように祈りが聞かれる経験を繰り返し、わたしはクリスチャンを続けているのだと思います。わたしは正直に真剣に語っています。
神が祈りに聞かれるのは本当かどうかと思う方は、一度、信じきってみて祈ってみればいいと思います。神様は責任をもって最善の答えを下さるでしょう。ただし、それが一度でも、きちんと信じることが大切です。そして、イエス・キリストの名によって祈ってみて下さい。大切な出会いがそこにあることを祈っています。