2012年4月1日(日) 嘘と真実
おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
きょうは4月1日、世の中ではエイプリル・フールと呼ばれています。日本語ではそのまま「四月馬鹿」と訳されています。
古い映画になりますが、ジャック・レモンとカトリーヌ・ド・ヌーブが主演した『幸せはパリで』の原題は「The April Fools」、「四月馬鹿」というタイトルなんですね。いくらなんでもそのまま訳して「四月馬鹿たち」という日本語のタイトルでは、あまり売れない映画になっていたのかもしれません。同じように1986年にアメリカで制作されたホラー映画『鮮血の記念日』も原題は「April Fools' day」(四月馬鹿の日)です。こう見てくると、案外エイプリル・フールの日は映画のタイトルに使われているのだと気が付きます。
ところで、なぜ4月1日を「四月馬鹿の日」と呼び、他愛もない嘘をついて化かしあう日になったのでしょうか。いろいろな説があるようですが、一番もっともらしい説は、16世紀のフランスで起こったとする説です。1564年、フランスの国王シャルル九世が、それまで新年を祝っていた4月1日から、1月1日に新年の暦を変えたところから、民衆の猛反対にあい、依然として民衆たちは4月1日にありもしない新年祭でばか騒ぎをしたことから、この日が始まったという説です。もっとも、当のフランスではこの日を「四月馬鹿」ではなく「四月の魚」と呼んでいます。なぜ「魚」なのか、そして、先ほどの新年のお祭りと魚がどう関係があるのか、当のフランス人たちもよくわかっていないようです。
さて、江戸時代の日本では、4月1日は「不義理の日」と呼ばれ、その日には普段義理を欠いている人に詫びの気持ちを込めて手紙を送ったようです。同じ4月1日でも江戸時代の日本人は随分と違う日の過ごし方をしたものだと思います。
西洋風のエイプリルフールが日本に入ってきたのは、明治時代になってからのことで、東京帝国大学でお雇い教師として教えたバジル・ホール・チェンバレンが書いた『日本事物誌』にこんな記事が出てきます。
それによると、日本に「エイプリル・フール」の習慣を持ちこむべきかどうかで議論になったことがあったようです。その当時はまだ「エイプリル・フール」が日本では一般に知られていなかったことがうかがえます。
さて、エイプリル・フールの習慣そのものは、笑ってすまされる冗談にすぎません。みんなが笑って楽しめるのであれば、今さら反対する理由などどこにもありません。楽しいジョークで大いに盛り上がってもらいたいものです。
しかし、人を騙す嘘となれば、これは許されるはずもありません。なぜ嘘をついてはいけないのか、ということは、改めて取り上げる必要もないでしょう。それは、人間社会が信頼関係というものの上に成りたっているからです。嘘が許されるとなれば、いったい何を信じて生きたらよいのか、不安な社会になってしまいます。嘘で固めた社会は、生活そのものが機能しなくなってしまいます。だからこそ、小さな嘘に対しても、それを厳しくとがめる教育が、子供が小さい時からなされるのでしょう。
ところで、聖書の世界では、ただ嘘をつかないということだけが求められているのではありません。聖書にはこんな言葉が記されています。
「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。」(エフェソ4:25)
神ご自身がわたしたちに対して誠実で真実なお方なのですから、その神さまに倣って、わたしたちもまた互いに真実を語る生き方が求められているのです。