2012年1月1日(日) 新しい年に思うこと
新しい年を迎え、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。ラジオ牧師の山下正雄です。
昨年は東日本大震災や台風など、自然の災害によって多くの方々が大変大きな被害に遭われました。そして今もなお元通りの生活には戻れない方たちが、大勢いらっしゃることを思い、今年こそは良い年でありますようにと心から願わずにはおられません。
また、そうした出来事を振り返るときに、人間のおごり高ぶりと、実際には小さな存在にしか過ぎない人間の現実の姿を思わされます。特に「想定外の」という言葉が使われるたびに、そのことを強く感じました。
そもそも人間が知っていることは、まだまだ、ほんの一部にすぎません。にもかかわらず、すべてが想定の範囲内におさまるという過信こそ、わたしたちを危険にさらしているものではないかと思います。
しかしまた、このような大きな悲しみの中にあっても、すべてが人間の暗い影ばかりではありませんでした。被害にあって苦しみの中にある方たちのために、何かしたいと思い、実際に立ちあがった多くの人々がいました。譲り合ったり、分かち合ったり、励ましあったり、人間が持っている麗しい面が顔をのぞかせたのもこの時でした。そうした人々の善意がまだまだ健全に機能していることに、少なからず光を感じます。
さらにまた、こうした善意の環は、国内にとどまらず、国境をこえたところからも寄せられました。そうした国々の中には、日本よりもはるかに貧しい国もありました。このことは、もちろん、彼らの善意によるところですが、しかしまた、多くの国の人たちから、これほどまでに愛されているわたしたちであることを感じる機会でもありました。
昨年日本を襲った災害から学びとったり感じたりしたことは他にももっとたくさんあることでしょう。体験した悲しい出来事から、そのように様々なことを学ぶことができたわたしたちが、今新しい年を迎えるにあたって、今年一年をどう歩むのか、一人一人が真摯に考える必要を覚えます。もちろん、置かれている立場は人それぞれですから、その人その人の決意があって当然です。
では、聖書の神を信じるキリスト者として、お前はどうなのか、と問われるならば、今までお話ししてきたことに沿って、特に二つのことに心を用いたいと思っています。
一つには人間が人間であることを忘れないように、ことあるごとにそのことを語り続けることです。聖書の教えでは、人間と神とは決して同じではありません。どんなに優れた才能が人間に与えられているとしても、神のようには決してなれないという現実を、大胆に語る必要を覚えます。これは人間にとっては心地よい言葉ではありません。しかし、人間の欲望と傲慢とが結びつくとき、頼りにもならない安全神話が出来上がってしまう危険を、いっそう語り続ける責任を覚えます。それは絶対者である神の御前に自分を相対化しているキリスト者の務めであると思います。
第二の点は人間の善意をはぐくむキリスト教会の働きです。もちろん、人間の善意をはぐくむのはキリスト教会だけではありませんが、神からたくさんの恵みをいただいている自覚があるキリスト者だからこそ、いっそう人々に仕えて生きることの大切さを思います。そして、そのことを何よりも大切に教えているのはキリスト教会です。
これら二つのことは、結局のところ、イエス・キリストが教えてくださった二つの大切な掟に要約されると思います。つまり、心を尽くして主なる神を愛すること、そして、自分のように隣人を愛すること、この二つのことです。この二つのことに心をとめて、新しい年の歩みを始めたいと願います。