2011年12月18日(日) 主の恵み

 おはようございます。私は山田教会の門脇るりと申します。朝お忙しいときと思いますが、どうか少しの間、耳を傾けてくださいませ。

 キリスト教について、今皆さま、一番気になさっていることは、多分次のことだと思いますので、私たちがいつも読んでいる本、それは聖書と申します、から答えを捜しましょう。
 「あなたの父母を敬え。そうすれば、あなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」。私たちは決して自分のルーツを大切にしないわけではありません。

 次に、私が一番安心できることを本から抜き出します。
 「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」。せっかく信仰のご家庭に育っていらっしゃるのに、信仰を捨てるのは勿体ないことだとは思われませんか。

 私は幼い頃、父の聖書のお話を聞いて眠りについていました。大好きだった話は、貧しい羊飼いの一番末の子どもで、力が弱く小さいダビデという少年が、大変力の強くて立派な槍を持った大男に石を投げて戦って勝ったお話でした。石をぶるんぶるんと回して投げるところが面白くて、とても好きでした。子供心にも、神様の御力が働いたためにダビデは勝つことができたと分かりました。ダビデは認められて後に王様になりました。
 
 私が六年になった時のことですが、家にあった百科辞典を開いたとき、「神様とは、人間が想像して作ったものだ」と書いてあるのを読んで、天地がひっくり返るようなショックを受けました。暫くショックを受けていましたが、日曜学校で習った問答を思い出しました。「神様は目に見えますか?」「目には見えません」。「神様はあなたを見ませんか?」「神様はわたしの心の中まで見ておられます」。私の中にはきちんと神様が存在しておられました。私は我がままですので、良い人間だとは思っていませんが、お祈りだけは毎日欠かしたことはなく、神様の不思議なお計らいで結婚した門脇は体がとても弱かったですが、今では元気になって、野菜作りを楽しみ、神様を伝える聖書を無料で配るために、外出外泊を度々しています。主人の身体を心配してその志の足を引っ張っている妻もおりますが、神様はお許しくださって、共に83歳の日常生活を元気に送らせていただいています。神様はとてもありがたい存在です。

 私は34年余り、教員生活をしました。遠足のときとか体育や理科の実験の授業で危ないこともあったと思いますが、子どもたちを守っていただいたことも神様に感謝しています。
 あるとき、子どもがマスト登りのマストから落ちたこともありましたが、子どもには怪我もなく、ほっとしました。その時、赤岡町御出身のI校長先生が、先生方に、「あんたらあも信心せんといかんね」とおっしゃったそのお言葉がありがたくて、優しい目とその先生の横顔を忘れることができません。

 徳川幕府の鎖国政策のため、キリスト教に対して特別の思いが年配の方にはまだ根強く残っていらっしゃることはよく分かっていますが、キリスト教は愛の教えです。一つの国のためにあるものではありません。シュヴァイツア博士は祖国ドイツのためにアフリカの困った人々を助けたのでもなく、マザーテレサ女史はマケドニアのためにインドの貧しい人々の世話をされたのでもありません。人類のために働いたキリスト教の信者の愛について皆様、どうかご理解してくださいますようお願いします。今はグローバルの時代です。皆さまのお馴染みのクリスマスには、年一回でもイエス様のお誕生の記念として、教会においでくださいますようお待ちしています。どうもありがとうございました。