2011年7月17日(日) 良い家と悪い家
おはようございます。南与力町教会の山村貴司です。
今日のお話はマタイの福音書の7章にある二つの家のたとえ話です。
イエスさまはそこで、一方の家は良い家であったと評価していますが、もう一方の家は悪い家であったと非難しています。評価している家、それは雨風が打ち付けても倒れなかった家で、非難されている家は雨風が打ちつけたとき倒れてしまった家だ。そういうふうに言われています。
ではどうして、後者は倒れ、前者は倒れなかったのでしょうか。この二つの家の違いは何だったのでしょうか。
聖書にはまず、この二つの家の共通点が記されています。共通点は、第一に「建物」自体です。聖書によるとこの二つの家には一方の建物が崩れやすく、もう一方の建物が崩れにくいというような違いは見当たりません。二つの家は「建物」自体は全く同じでした。
第二に、両者の家に襲い掛かった「災害」、これも共通しています。聖書によると、両者の家には同じように激しい雨風が打ちつけ、雨風が襲い掛かっています。ですから、家を襲った災害にも違いはありませんでした。にも関わらず聖書によると、その時一方の家は跡形も無く倒れ、もう一方の家は倒れなかったというのです。一体何が違っていたのでしょうか。
それは、家の土台でした。聖書によると、一方の家の土台は砂だった、そしてもう一方の土台は岩だったというのです。つまり、前者は崩れやすい土台の上に建てられていたため倒れてしまった。後者は崩れにくい土台の上に建てられていたために崩れなかったというのです。
このお話はたとえ話です。ここに出てくる家や雨風、そして岩とは一体何を示しているのでしょうか。
家、それは私たちの「人生」や生活を示していると言えるでしょう。雨や風、それはそんな私たちを襲ってくる様々な「試練や困難」、あるいは辛いこと、悲しいことなどを指していると言えるでしょう。
ではそんな時、これを土台としていたら決して倒れることがない堅固な「岩」とは何でしょうか。それは神様です。神様は決して倒れることが無い堅固な岩なのです。聖書は、神様は私たちがどんな試練や困難に遭遇したときにも、絶えず私たちを守り支ええてくださるお方であり、わたしたちがどんなに辛いことや悲しいことに遭遇した時にも、絶えず私たちを守り支えてくださる強固な岩のようなお方であると教えています。
私たちにとって大切なのは、私たちの人生を何の上に建てているのかということではないかと思います。私たちが、有限で崩れやすいものの上に人生を建てているならその人生はやがて倒れます。けれども、もし私たちが、無限で永久に無くならない堅固な神の上に人生を建てているならその人生は永久に倒れることは無いのです。
どうか、私たちが永久に無くならない堅固な神の上に、しっかりと人生を建てることができますように。