2011年6月12日(日) すべての人を変える福音の力

 おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。

 高知県ではあちこちに「良心市」といって、無人の野菜市場を見かけます。そこでは代金を代金箱に入れるのですが、それはただ売り手と買い手の信頼関係だけの、物の売買が成り立っています。それは本来の売買のあり方にも通じるものがあるかもしれません。「良心市」の「良心」という名が表わしているように、人の良心を信頼してのものと言うことができます。この「良心」という言葉は、英語ではカンシェンスといって、2人のものが一緒にものごとを知ることを表わしています。それでは、わたしたちは自分の良心にものを尋ねるときに誰と相談して決めているでしょうか。

 聖書には悲しいことに、兄のカインが弟のアベルを殺したという人類最初の殺人事件が書かれています。そこで神さまが見られたものは、兄カインの心でした。
 カインは農夫であり、アベルは羊飼いでした。そして、収穫の時になるとカインは作物の中から神さまに供え物をささげました。アベルは一番いい子羊の最上の肉を自分で神さまにささげました。このとき、神さまはアベルのささげものを受取り、カインのものを受取りませんでした。カインはアベルを野原へさそい、そこで弟アベルを殺してしまうのです。このことについて、聖書はこのように言っています。「カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです」ヨハネの手紙一 3章12節。わたしたちの良心は、このように良いことと悪いことを判断しながら、カインのように悪い結果を生じることがあります。それは、良心にすべての信頼を置くことができないことを示しているとも言えるでしょう。むしろ、このことを、聖書は神さまに対する罪の思いといっています。

 罪とは、このように人間の良心をもむしばんでいる非常に除き難いものです。しかしながら、聖書は人間には除きがたいこの罪を神さまが取り除いてくださると約束しています。それがイエス・キリストの「福音の力」です。この福音について、公然とイエス・キリストを否定していたパウロという人は、イエス・キリストご自身と出会い、百八十度変えられてこう言いました。「私は福音を恥とは思いません。ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」と(ローマ人への手紙1章16節 新改訳 第3版)。

 このように福音には100パーセント人を造り変える力があります。それは、人間の根本、その心の底に、福音が生きて働くならば必ず人が変えられるからです。この福音は、わたしたちがイエス・キリストを罪からの本当の救い主と信じるとき、神さまがわたしたちの罪ではなくその信じる思いを見て、正しい者として受け入れ、わたしたちを天国の一市民として迎えてくださるという本当に有り難い約束なのです。
 ですから、この神さまの有り難い約束を感謝して生きる人は、すっかり罪を離れて、今度は神さまの正さと清さに向かって生きていくように変えられます。ここには何らの差別も区別もありません。どんな境遇に生まれようが、育とうが、どれほど悪いことをした人でも、イエス・キリストの福音を信じるだけでその人は神さまに変えられて、正しく生き直っていくことができるのです。なんと、驚くべき福音でしょうか。それほど、神さまの愛は私たちに対して深く尊いものなのです。