2011年5月8日(日) 自由民権運動とキリスト教
おはようございます。山下正雄です。
先日、高知市にある自由民権記念館を訪ねる機会がありました。高知に来るたびに気にはなっていたのですが、中々訪れる機会がなく、やっとそのチャンスが巡ってきました。隅から隅までじっくりと巡って、今まで知らなかった事柄を改めて知るよい機会となりました。
自由民権運動といえば、高校時代に学んだ日本史の教科書では、ほんのわずかしか触れられていないように記憶しています。その時に習った記憶をたどってみると、「征韓論」「明治6年の政変」「民撰議院設立建白書」「立志社」「国会期成同盟」などといったキーワードが断片的に思い出される程度です。お恥ずかしい話、その程度の知識しか持っていないわたしです。
10年ほど前から仕事でたびたび高知を訪れるようになって、片岡健吉という人物の名前をよく耳にするようになりました。高知県の人たちにとってはとても馴染みのある名前なのかもしれませんが、わたしにとっては記憶にない名前でした。植木枝盛の名前は知っておりましたが、それですら、板垣退助や中江兆民に比べれば、マイナーな人名かもしれません。まして、片岡健吉を知っている人がいるとすれば、相当日本の歴史に詳しい人だと思います。
片岡健吉は第7代から10代まで、連続4期、衆議院議長を務めた立派な政治家ですが、キリスト教会の人間にとっては、それ以上に、教会の長老として、教会員に仕える務めを謙虚に果たしたことで、逸話の多い人物です。教会の下足番のおじさんかと思っていた人が、実は衆議院議長を務めるほどの人物だと知って、その謙虚さに感銘を受ける人が多かったと聞いています。この片岡健吉は板垣退助や植木枝盛らとともに1874年に立志社を設立します。
さて、今回、自由民権記念館を訪れて、新たに得ることができた知識は、この「立志社」についての知識でした。もちろん、立志社の名前は前から耳にしてはおりましたが、政治結社の一つぐらいにしか思ってはおりませんでした。ところが、立志社は実際には困窮している士族に対する授産活動も行う共同体であり、子弟の教育を担う立志学舎は同じ立志社の教育機関であったということです。思っていたよりも、手広い活動を行っていることに驚きを感じました。
立志学舎では、坂本龍馬の甥にあたる坂本直寛が学び、自由民権運動家として活躍をします。坂本直寛はこのあと1885年に当時の高知基督教会で片岡健吉らとともに洗礼を受けます。立志社が解散して2年後のことです。
立志社で自由民権運動を推進していった人たちの中に、後にどれほどの人がキリスト教に入信していったのか、手元に詳しい資料がないので分かりませんが、そうした自由民権運動とキリスト教会とのつながりにも興味を覚えました。
立志社出身の人々で、後にキリスト教に入信した人たちは、キリスト教の信仰を抱きつつ、どの様な社会を築き上げようとしていたのでしょうか。教会という共同体の中に、そのモデルを見たのでしょうか。とりとめもない興味と関心がわたしの心を捕らえました。
残念なことに、今日のキリスト教会にはそのような共同体としての魅力はない、と思われがちです。しかし、キリスト教会にこそ、まことの意味での共同体があるのではないかと、思いながら、しかし、それを十分に示すことができない自分自身の力の足りなさを思いました。自由民権運動が盛んなころのスローガンに「自由は土佐の山間より」と言う言葉がありますが、人間を真に自由にする運動が、キリスト教会から広がるようにと思いを新たにしました。