2011年5月1日(日) 男女平等
おはようございます。山下正雄です。
先日、高知市にある自由民権記念館を訪ねました。この記念館が開設されてから20年以上経ちますが、県外の人で、この記念館の存在を知っている人はそう多くはないように思います。まして、自由民権記念館を訪ねてわざわざ高知まで足を運ぶ人はもっと少ないことでしょう。
そういうわたしも、出張で高知に来るようになって、初めてその存在を知りました。もっとも、そういう記念館があることを知っただけで、実際に足を運んだのは、知ってから10年も経ってのことでした。
自由民権運動といえば、高校時代の日本史の授業でざっと学んだ程度の知識しか持ち合わせていないわたしです。それも板垣退助や中江兆民、植木枝盛などの名前を断片的に知っている程度です。
今回初めて自由民権記念館を訪れて、隅から隅までじっくりと見て回りました。今となっては国民の自由と権利という思想は、この日本でも当たり前のものになっていますが、明治初期の時代にはそうではありませんでした。そうではないこの時期に土佐から自由民権運動の輪が広がっていったことに、改めて深い感慨を覚えました。
そんな中で、わたしの目をひいたのは、一人の女性の名前でした。その人の名前は、高知の人にとっては当たり前の知識かもしれませんが、わたしにとっては初めて耳にする名前でした。
「民権ばあさん」として知られる楠瀬喜多 (くすのせきた)という婦人です。この人については限られた資料しか残っておらず、人物について詳しいことを知ることはできませんが、ただ一つ分かっていることは、日本で最初に婦人参政権を勝ち取った人物であるということです。それは世界でも二番目の出来事であったそうです。明治に入ってわずか13年のことです。この運動には上町町会が一丸となって支援をしたそうです。
上町というのは、個人的な話で申し訳ないのですが、わたしが仕事のためによく訪れる日本キリスト改革派高知教会のある町で、また、去年話題が沸騰した坂本龍馬の生まれた町でもあります。そんなことも手伝って、この人物に一層興味をひかれました。
ところで、わたしはキリスト教会の牧師ですから、この土佐の自由民権運動とキリスト教とがどの程度結びついているのか、興味と関心を覚えました。楠瀬喜多がキリスト教と接点があったのかどうか分かりませんが、少なくとも土佐から全国に広がる自由民権運動の担い手には、数多くのクリスチャンたちがいたことは分かっています。
婦人の参政権という考えが出てくるのも、男女平等という思想がその背景にあるからで、西欧においてはこの男女平等思想の背景には当然キリスト教があったであろうと思われます。「あったであろう」というのはずいぶん自信のない言い方ですが、特に文献にあたってその思想の形成の歴史をたどったというわけではありませんから、今はそういう言い方で留めておきます。
ただ、明治期になって入ってきた「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉の背景にあるアメリカの独立宣言の言葉は、明らかにキリスト教の思想が前提にあります。そして、その場合の「人」というのは、「男」だけではありません。聖書は神が人間をお造りになったとき、男と女とに創造された、と述べて、わざわざ男女共に神のかたちをもって造られた人間であることを強調しています。
もちろん、この神によって与えられた人としての自由と権利をあらゆる人が自分のものとするには、多くの努力と犠牲を必要としていることは言うまでもありません。そして、土佐から始まった自由民権運動がそのことに大きく貢献した運動であったことを改めて思う一日でした。