2011年2月6日(日) 生けるまことの神
私は、山田教会の泥谷逸郎と申します。
今日、私は聖書の中に示されているまことの神様をお伝えしたいと思います。世の中には、たくさんの神々がいるようでうすが、まことの神様はただお独りです。聖書の中に、次のような実話があります。
ある日のことです。キリストの二人の弟子がある町でイエス・キリストの福音を伝えていました。すると、生まれつき足が悪く、一度も歩いたことの無い男が座っているのが見えました。弟子の一人が、彼に近づき、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言いました。すると、その男は躍り上がって歩き始めました。これを見た人々は、「神々が人間の姿をとって御くだりになった」と大声で叫び始めました。
そして、二人の弟子たちに生贄を捧げて礼拝をしようとしました。これを知った二人は「服を裂いて群衆の中に飛び込んで行って、叫びました。『皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間に過ぎません』」と。人間は、どんな偉人であっても人間に過ぎません。にもかかわらず、人間は人間を神にし、また動物や巨岩や巨木を神にします。これはどの民族でも、どの時代の人も同じです(使徒言行録14:8-18参照)。
弟子たちは、さらに続けて叫びました。「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです」と。人間を神に祭り上げても、それは生ける神ではありません。まことの神ではありません。何であろうと、生けるまことの神以外のものを神にするなら、それらは皆偶像です。
偶像は、命は無い、空っぽなものです。目はあっても見えず、鼻はあっても臭わず、口があっても物が言えず、耳があっても聞けません。時代時代の人々が、人種を問わず、色々な偶像を作って、それらを拝んできました。二人の弟子たちは、人々にこう語り掛けました。「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです」と。私たちもラジオを通して、みなさんがまことの生ける神に立ち帰るように願って、イエス・キリストの福音を告げ知らせているのです。
弟子たちは更に続けて言いました。私たちが伝えるイエス・キリストの神こそ、「天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です」と。生ける、まことの神は天地とその中にある一切のものを造られた創造主であられます。これは真理です。
そして弟子たちはこう言いました。「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました」と。しかし今は恵みの時、救いの日ですから悔い改めることを求めておられますと。
過ぎ去った時代にも、神はご自分こそ生けるまことの神であると証ししておられました。その証しとは、天から恵みをくださり、「雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、」私たちの心を満たしてくださっているということです。これはちょっと考えても分かることですね。米を実らせるお方は生けるまことの神です。同じ米を実らせるのに、日本の神々、中国の神々、東南アジアの神々などは実らせているわけではありません。
「すべて人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは」イエス・キリストの父なる神です。生けるまことの神は、この神を信じてより頼む人の罪を赦し、愛されます。ここにまことの救いがあります。