2010年11月28日(日) 静かにささやく神の声
「主は、『そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい』と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(旧約列王記上19:11-12)
おはようございます。山田教会の牧田吉和です。今朝も聖書の言葉をご一緒に学びましょう。
教会では子どもたちのための教会学校があります。教会学校の子どもたちは、聖書のお話の中で「ワァー、すごいなァー」というような神の力を示す物語が大好きです。確かに神は全能の生ける神です。聖書を見ますと、神は度々ご自分の全能の力を驚くべき奇蹟によって示しておられます。しかし、いつもそうであるとは言えないことも心に留めていただきたいと思います。
今朝の聖書の言葉は、預言者エリヤの物語の一部です。エリヤは勇敢な人でした。当時の偶像礼拝とそれに仕える偽預言者たちと戦い、神の助けを得て華々しい勝利を獲得した人物です。しかし、そのような勝利の後に、落とし穴が待ち受けていました。その偶像礼拝を支持していたイゼベルという女王に執拗に命を付け狙われることになったからです。人間というものはどんなに強いように見えても、やはりもろい部分を持っているものです。預言者エリヤは、この迫害に直面し、荒野へ逃れてゆきます。その荒野で命が絶えるのを願って身を投げ出してしまうのです。いわば絶食して自殺を試みたのです。しかし、神は本当に憐れみ深い方です。エリヤを十分に眠らせた後で、食べ物を用意し、食べさせ、エリヤを力づけてお助けになりました。神は私たちの弱さをご存知です。自殺未遂をも受け入れ、助け出してくださったのです。こうして助け出されたエリヤは、ホレブという山に導かれ、そこで神の前に立ちなさいと命じられました。
その時のことが今朝の聖書に記されています。「非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった」。こう語られています。そして、最後に非常に印象深い言葉が記されています。「火の後に、静かにささやく声が聞こえた」。
激しい風、地震、火というような特別な自然現象は、神がご自分を表すときに用いられる現象です。誰しもが神の力を感じさせられ、畏敬の念を持つことになるからです。ですから、神が私たちに何かを示してくださる時に、私たちの方でもそのような特別な現象や出来事を期待しがちです。
しかし、今朝の聖書の言葉には、全く違う世界が示されています。エリヤは命さえ投げ出すような挫折を経験しました。しかし、その挫折の経験を経て、その中で神が語られたのです。それは声高な声ではなく、「静かなささやく声」であったのです。私たちが神と出会うのはどのような形でしょうか。驚くような成功や奇跡的成果を通してでしょうか。あるいはそのような形で神がご自分を示されることもあるかもしれません。
しかし、今朝の聖書の言葉は非常に大切なことを教えています。私たちが失敗し、挫折し、希望を失うような経験の中でこそ、神が私たちの心に静かに深く語りかけてくださることがあるという事実です。聖書の言葉に耳を傾けながら、挫折や失敗を通しても語られる神の声、神の静かな御声を聞く人は幸いです。