2010年10月3日(日) キリストは何者か
おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。
今朝は、キリストとは一体何者なのか、聖書を見てみたいと思います。
地上におられた頃のイエス・キリストを、当時の人々はあれやこれやと言っていたそうです。聖書によりますと、ある時、イエス・キリストは弟子たちに御自分のことを世間の人々が何と言っているかとお尋ねになりました。すると弟子たちは次のように取り次ぎました。「『洗礼者ヨハネだ』という人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』という人もいます」(マタイ16章14節)というのです。
預言者の一人だという答えは、しばしば言われていた答えで驚くほどではありませんが、特に名前を挙げた答えがあるのが、驚くべきところです。
まず、洗礼者ヨハネというのは、悔改めを迫った預言者ですが、主イエスがここでお尋ねになる以前に、首を切られ殉教の死を遂げました。その洗礼者ヨハネが甦ったのかどうかして、やって来たんだ、というものです。次に、エリヤという人は、紀元前9世紀頃にイスラエルの民に悔改めを迫った預言者です。旧約聖書の最後には、終りの日に預言者エリヤが来るということが記されており、そのエリヤがやって来たんだと人々に思われていたわけです。さらに次に、エレミヤという人ですが、紀元前6世紀頃にユダヤ人たちは戦いに敗れ、バビロンという遠い外国の捕虜となり、その時、エレミヤという預言者は無罪釈放されましたが、ただちにあるユダヤ人の一団にさらわれ、エジプトに連れて行かれました。ユダヤ人たちは、本当に苦しい時にはエレミヤが必ず助けに来てくれると期待していたようで、そのエレミヤが来たんだと人々は答えたわけです。
いずれにしても、頭の良い先生とか、病人を不思議な力でどんどん癒すお医者さんとか、そういうものを越えた、もっと自分自身を根底から救ってくれる方だと思われていたようです。
イエス・キリストは今度は弟子たちに尋ねました。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(マタイ16章15節)。すると、一番弟子のペトロが答えました。「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16章16節)。メシアというのは、神様から特別に選ばれて特別な仕事をする者のことで、救い主と訳せます。そして、生ける神の子ですという答えは、多神教の風土を持つ日本では、その驚きが分からないでしょうが、当時の唯一神教の世界で、神の他に神の子を認めるというのは、絶対ありえなかったことでした。ほぼ、あなたは神様であります、というのと同じです。ただ、弟子たちにとって、イエス・キリストを遣わす側の神様と、遣わされる側の神様であるイエス・キリストとを区別するのが困難だったことでありましょう。
それでも、「あなたはメシア、生ける神の子です。」と答えた弟子のペトロに対して、主イエスは、「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」(マタイ16章17節)と、このように天の父なる神、すなわちイエス・キリストを遣わした全能の神があなたに働いたから、答えることができた、あなたは幸いだ、と言われました。
イエス・キリストは、メシアという神様から特別な仕事を託されており、その仕事は人々の果てしなく大きな罪を赦すことでした。そのために、神でありながら、人となられて地上にこられたのです。
イエス・キリストとは、私たちにとって、罪を赦して下さる救い主であり、神でもあり人でもある神の子であります。