2010年9月19日(日) いつも支えてくださる神様

「わたしの胸が思い煩いに占められたとき あなたの慰めが わたしの魂の楽しみとなりました。」(詩編94:19)

おはようございます。清和女子中高等学校の山脇克之です。今回初めて、「キリストへの時間」でお話させていただきます。つたない話ですが、ご了承ください。

私は現在、清和女子中高等学校で勤務しています。清和学園は規模の小さな学校ですが、毎年、新入生が与えられていることに感謝しています。また、少人数とは言え生徒たちが元気に学園生活を送ってくれていることに喜びを感じます。私は、清和学園での勤務年数はそれほど長くはありません。大学卒業後、6年間は県立高校での臨時教員をしていました。その後、時間講師として半年間、清和学園で勤務する機会を与えられ、翌年から正式に清和学園で勤務することとなりました。今でも思い出すのは、清和学園で時間講師をすると決めたときのことです。そのときの私は、臨時教員の空きができるのを待っている状態で、働きたいと思っても働けないという状況でした。そんな時、清和学園で時間講師として働かせてもらえることになりました。心から感謝しましたし、本当に嬉しかったのを今でも覚えています。しかし嬉しい反面、どこか県立高校で働くことを諦めてしまったことへの「悔しい」思いと、「これで良いのか」という不安があったのも事実です。

清和学園で働くことを決めた次の週の日曜日、教会に行きました。どこか不安な状態のまま、日曜日の礼拝に出席した私は、教会の牧師先生に「清和で働くことにしました」と伝えました。そのとき、「良かったね」と牧師先生が言ってくださいました。この「良かったね」という言葉を聞いたとき嬉しくて自然と涙が出始めました。清和学園で働くと決めた後も迷っていた私の背中を「良かったね」という言葉が後押ししてくれたのかもしれません。その日の礼拝中も、ずっと涙が止まらなかったのを覚えています。さんざん泣いたからでしょうか、礼拝後少しだけ気持ちが楽になりました。また、礼拝で歌った讃美歌、312番の歌詞にも励まされました。いつくしみふかい友なるイエスは、私たちの罪や憂いを取り去ってくださる、という歌詞に強く励まされました。今から思えば、つまらないことで悩んでいた私を、神様が慰め、励ましてくれたのかも知れません。

その後、正式に清和学園で勤務し始めたのですが、初めは戸惑うことばかりで、「本当に自分がこの学校でやっていけるのか」と不安になることもありました。そんな時、神様が励ましていてくれる、支えていてくれると思うと、勇気が沸いてきました。今でも悩みは尽きませんが、清和学園の先生方や、生徒の皆さんから毎日多くの喜びを与えられていることに感謝しています。そして、神様がいつも支えてくださっていることに感謝しています。

神様はいつもいろんな方法で、私たちを励まし、支えて下さっています。コリントの信徒への手紙には「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(1コリント10:13)とあります。神様は時に試練を与えることがあっても決して私たちを見捨てることなく、いつも見守っていてくださるということを、この聖書箇所は教えてくれます。
自分の弱さを知り、神様が支えてくださること、慰めてくださることに感謝して毎日の生活を送って行きたいと思います。