2010年9月12日(日) 心に残るワンシーン

おはようございます。南与力町教会会員の丸岡洋希です。
朝早くから映画の話で恐縮です。数々のすばらしい映画がありますが、皆さまの取って置きの名画はどんな作品でしょうか。心の残るワンシーンは、いつまでも胸を熱くさせられ、新たな力を与えられるような気がいたします。

「ベン・ハー」も名画と言われるひとつです。この映画も忘れられない様々の名場面が映画ファンの心を躍らせます。特に、ベン・ハーのライバル、メッサラとの20分近い戦車競技場での死闘場面は多くの方の記憶に強烈に残り、そのシーンが目の前で繰り広げられるのではないでしょうか。思い起こすだけでも、はらはら、ドキドキしてきます。

ベン・ハーを名優チャールトン・ヘストンが演じております。数々の名画を演じた彼の集大成は「ベン・ハー」であり、戦車での死闘場面は代表的なシーンと言えましょう。しかし、彼が俳優人生をかけたベストシーンはそれ以外であったかも知れません。

少し映画のあらすじを思い起こして見ましょう。西暦一世紀の初め、ユダヤがローマ帝国の支配下にあった頃の話です。ユダヤの都エルサレムにローマ駐屯軍の新将校が着任します。それはベン・ハーの幼友達のメッサラでしたが、着任早々の思わぬ出来事から、立身出世主義のメッサーラと名門の豪族で人情味溢れるベン・ハーとの壮絶なドラマが展開されます。 
理不尽にもベン・ハー一家がローマへの反逆罪に問われ、母と妹は牢獄に入れられ、ベン・ハーは奴隷となり、ひどい労苦と耐えられないほどの境遇に追いやられます。やがて、ライバル、メッサラと再会し、戦車競技大会での運命的な対決となり、壮絶な戦いの後奇跡的な家族との再会のエンディングを迎えるのです。

映画を見ておられない方には申し訳ないのですが、見られた方は奴隷時代のベン・ハーを覚えておられるでしょうか、労役に着く砂漠でのシーンを思い起こしてください。メッサラの仕打ちにより囚人たちと鎖につながれ、素足で岩山と砂漠を強制連行させられます。延々と続く砂漠の行進で耐え難い暑さの中、疲労とのどの渇きに息も絶え絶えで、やっと井戸のある小さな村にたどり着きます。村の子供がベン・ハーに水を渡そうとした時、司令官が「この男には水を飲ますな」とひしゃくを払いのけます。体力の限界を超えたベン・ハーは「神よ、助けたもう」とその場に倒れこみ、失神します。そのとき、ある男が近づきベン・ハーの顔を水でぬぐい、抱き起こして水を飲ませます。気を取り戻したベン・ハーは水をひたすら飲みます。先ほどの司令官がムチを持ち止めに来ますが、その男を見た瞬間、男のえも言えぬ尊厳さに微動だにで来ません。上司の命令以上の権威を感じたのでしょう。
水を飲み干したベン・ハーが男を見上げたとたん、ベン・ハーの表情は光が差し込まれたかのように輝きはじめ、感動と希望に溢れた表情に変わります。この水は一時の渇きを癒すだけではなく、ベン・ハーの体全体を駆け巡り、生きる希望と力が湧きでてきたのです。この方は命の源だ!…その思いが、観客に伝わるチャールトン・ヘストンの名演技でした。映画の終盤で、その男はイエス・キリストだと明らかにされます。チャールトン・ヘストンはこの五分間のシーンを私たちに最も伝えたかったのかも知れません。

聖書のヨハネによる福音書4章では、井戸水を汲むサマリヤの女性にイエスは語っています。この井戸の水を飲む者は、誰でも又渇く。しかし私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水は、永遠の命に至る水となって、あなたのうちで泉のように湧きいでる(ヨハネ4:13-14)。この言葉を確信していたチャールトン・ヘストンは「ベン・ハー」を通し、「渇かない、永遠の命に至る水はイエス・キリストだ」、と私たちにメッセージを送りたかったのではないでしょうか。