2010年8月15日(日) 敗戦の日に(対談) 聞き手:熊田なみ子(スタッフ)
熊田なみ子《な》 おはようございます
門 脇昭 《門》 おはようございます
《な》 今日のキリストへの時間は、門脇昭さんにスタジオにいらっしゃっていただきました。山田教会の長老さんをしていらっしゃる…。
《門》 そうです。
《な》 長老さんといってもよく知らない方もいらっしゃいますが、役員さんとして、もう長いんですか?
《門》 そうですね。25歳からですから、60年近いです。
《な》 60年近く教会の長老さんをしていらっしゃるという門脇昭さんに今日はお話を伺っていこうと思います。よろしくお願い致します。
《門》 こちらこそよろしくお願いします。
《な》 今日は実は8月の15日ということで敗戦の日です。もう、日本中が平和を願っていますけれども…門脇さん、戦争の思い出としては?
《門》 私は士官学校で8月15日を迎えました。だから本当に私にとっては記念すべき日なんです。
《な》 そうですか。もう様々な体験がおありになると思いますし、短い時間ではとてもお話きれないと思いますが、今日はそういう記念の日ですので。
《な》 なにかこう、追われて追われて四国の地でも奥様の故郷というか、(ちょっとお話を伺いましたら)安芸市の方にいらっしゃったことがあるということで…。
《門》 戦争中に家内の両親はクリスチャンなるがゆえに、(教員の)異動の時にはいつも悲しい思いをしたという。それは山へ山へと追いやられて、本当に苦しい時代ではなかったかと私は想像しております。
《な》 そうですか。そのところにご夫婦で行ってらしたそうですね。
《門》 そうですね。
《な》 改めてその地にいらしていかがですか?
《門》 私は、(今は交通の便が良くなっているけれども)その当時にこうゆうところというのは、本当に、小さい細い道を、自動車は無いからテクテクと歩いて行ったんだろうと想像しました。そして、そういうところにも神様は…両親が信仰を持っておったゆえに牧者が訪ねてきてくれたと。本当にそれはありがたかったなぁと。
《な》 牧師さんが訪ねてきてくださった。そうですか。
《門》 はい。そして、その牧師さんが実は終戦後に私が山田の教会に加入したときの牧師さんでして、橋本亘(はしもとわたる 1902年?〜1979年)という先生でした。
《な》 そうでしたか。高知県には様々な場所に教会が沢山ありますが、とても有名な政治家の方もいらっしゃるということで、クリスチャンの方がいらっしゃるとか…。
《門》 そうです。片岡健吉(かたおかけんきち 1844年〜1903年)という立派な政治家がいました。この人は衆議院議長を何回もさせられた政治家であります。
《な》 私も銅像と言うんでしょうか、先生のここですよというところに行ったことがあるんですけれども、高知の方みんなそこに…
《門》 ええもう 片岡健吉といえば衆議院議長をしたということを皆知っていると思います
《な》 クリスチャンの方ですから、教会にも行ってらした訳ですから…。
《門》 片岡健吉の信仰生活の立派なところは、安息日厳守ということなんです。
《な》 日曜日を厳守するということは、必ず礼拝にいらっしゃる…。
《な》 相当お忙しい方だったと思いますが…。
《門》 そうです。東京に行っても東京の教会に行くと、高知に帰っても高知の教会へと。高知の教会は自分の母教会ですからこの高知の母教会におることが多かったと思います
《な》 母なる教会と書きますけれどね母教会。ご自分が洗礼を受けられた教会ということですね。
《な》 そうですか。どんなにか忙しいお人だったかと思いますが、そのように日曜日の礼拝には必ず教会にいらっしゃった。何か色々なエピソードがあるんですか?
《門》 ええ、教会で出席をするときは必ず玄関で信者の方々または求道者の方をお迎えすると、そして、上履きを揃えて、いらっしゃいどうぞと言って、案内をされておられた
《な》 そうしますと、いらっしゃった方が、おはようございますといらっしゃった時に、片岡健吉先生はひれ伏してというか、なんていうか、まるで弟子の足を洗うイエス様のような、そんな雰囲気で…。
《門》 知らない人は教会の小使いさんだなと思った。小使いのおじさんだと。後で聞いてびっくり仰天(笑)。
《な》 そのように教会にいらっしゃる方々を大切にして、お迎えしたという。今の私たちも本当に学ばなければいけないことが…。
《門》 私も、いつも家内にそのことは言われるんです。片岡健吉さんは玄関で迎えた。あなたもそうしなさい(笑)。
《な》 山田教会にいらっしゃったら、門脇昭さんがお迎えしてくださるということですね(笑)。
《門》 そうしたいと思うんですが、なかなかそうことは難しいなと思います(笑)。
《な》 そうですか。そういう(片岡健吉先生の)お姿を見て、本当に心から神様のおられる事を、救い主イエス様のことを感謝される方もどんどん起こされたそうですね。
《門》 そうです。「私は高知教会の玄関で導かれました」という人が沢山あるそうです。
《な》 私たちの愛の行いというか姿を通して神様が働かれて、
《門》 ええ。これは、私、大切な事だと思います。
《な》 その姿を見てここに真の神様がおられると思って…。
《な》 そうゆう方々がクリスチャンになっていったんですか?
《門》 そうです。そうゆうことも色々な人から耳にしましたね。
《な》 そうですか。土佐のこの風土というのは…私は関東の人間なので、「いごっそう(異骨相)」とか「はちきん(八金)」とかですね、ちょっと聞かないような言葉がいろいろありまして。「いごっそう」というのは頑固という…
《門》 ある意味では、安息日を守る、そして教会に出席するということも頑固さがありますね。それは土佐のクリスチャンのひとつの特徴だろうと思います。それは高知教会の多田[=多田 素(ただ しろし 1865年〜1941年)]先生が色んな所で書いてあるんですけれども、非常に信仰生活が訓練されたと。それはウェストミンスター小教理問答 その当時の略問答を使って、高知教会は信者を訓練したと。その一番守られてきたのは安息日厳守だと思います。
《な》 そうですか。小教理問答は問いと答えになっていて、本当に一つ一つの答えがありますのでね。
《門》 日本で最初に翻訳したのは、この多田牧師だと言われています。
《な》 そうなんですか。
《門》 多田先生は、それを用いて信徒を訓練したと思います。
《な》 そうですか。どうでしょうか、この平和を願う日本なんですが、長老さんも今の時代色々憂えることもあるかもしれませんが、どんな望みを持って生きておられますか?
《門》 私は終戦の日に、二つの聖書の言葉が出てきました。その一つは「神は愛なり」(1ヨハネ4:8)ということ。もう一つは「せん方尽くれど望みを失わず」(2コリント4:8)だから、これからだと思いました。そう思ってずっとやってきましたけど。十分ではありませんが。
《な》 それは今ラジオを聞いている全ての方にも神様はお働きになって下さるわけで、望みが尽きたと思うことはないだと。希望があるんだということ…。
《門》 希望はあるんです。それは神様がしてくださる。私がするんではなく、神様がしてくださる。
《な》 終戦のあの時、皆さん、どんなだったかと思います。
《な》 この希望の神様を信じてこれからもますます、門脇さんはお元気に。今何歳になられたんですか?
《門》 82歳です
《な》 お元気ですね。それでは来週も続けてお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。
《門》 はい、よろしくお願いします