2010年5月30日(日)清和学園で学んだこと

おはようございます。山脇栄子です。
私は38年間、ミッションスクールの清和女子中高等学校で保健体育の教員として勤めさせていただいた者です。朝に夕に、讃美と祈りを捧げる清和学園の生活から離れてみて、あらためて清和学園では常に神さまの言葉が語られていたことを実感しております。

48年前、清和女子高校に入学して初めて聖書を手にした私は、そこに書かれてあるあらゆる事柄に目を見張り、すべてを造られた神さまの働きを信じるようになりました。高等学校卒業後、再び清和の教員として学校の門をくぐった私は、不思議な神さまの導きを覚えたものです。
その一つに、この「キリストへの時間」との関わりがあります。もう24年、5年になるでしょうか。当時、通り町の高知教会を牧しておられました石井正治郎先生が、東京でラジオ伝道を始められ、清和学園の紹介コーナーを設けてくださいました。清和の卒業生でもある私が担当することになり、東京のスタジオまで足を運んだものの、マイクを目の前にした私は、緊張のしっぱなしで、何を話しているのかさっぱりわかりませんでした。それは今日も同じですが、何しろ、早く終わらないかしらと冷や汗の出る思いでマイクに向かっていました。清和の紹介コーナーでも、石井先生は打ち合わせ無しで数々の質問をしてきましたので、目も当てられません。何とかその場を通り過ぎた私でした。
高知に帰りますと、伊藤校長先生がニコニコと笑いながら「山脇さん、だいぶん苦労したね」と感想を述べてくださいました。また、思いがけない人から「あなたの放送を聞きましたよ」とか放送の感想を書いたお便りをいただき、「キリストへの時間」との関わりから多くの交わりのときも与えられ、感謝しています。

私たちは日常の生活の中で、自分ひとりでは生きていくことができないことを良く分かります。人との交わりが何を中心にしているかによって、その人の生き方が証明されるのではないでしょうか。お金が中心であったり、自分の見栄のための交わりであったりする場合は嫌な思いが付物ですけれども、清和学園は神さまが中心の交わりです。神さまの愛を受け入れ、自分の隣人にもそのようにしなさいと、聖書に書かれてあります。
学校の入り口には「神は愛なり」の大きな石碑が建っており、朝に夕にその言葉を目にし、心に刻む生徒一人ひとりが本当に優しい子供に成長していってくれます。
中学1年生で出会った子供たちが、6年後にまた学園を卒業した後に、「先生、お元気ですか?お身体は大丈夫ですか」と声をかけてくれる、優しい心遣いは本当に嬉しいものです。

私自身、未熟であるために十分なこともできないまま卒業を迎えた生徒さんたちもたくさんいたことでしょう。申し訳ないと今になって反省する次第です。ローマ書12章15節「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」を教訓として歩んだ私ですが、最近になって、その言葉を実行しているのは私ではなくそこに学んだ生徒さん一人ひとりであり、私たち教師はその生徒さんたちによって慰められていることに気づかされました。 一粒のからし種が大きくなり沢山の実をつけるように、神さまは不思議な方法で生徒を導き、心豊かに成長させて下さいました。人が考えることの出来ない、神さまの不思議な働きのある学校の教師であったことに誇りを感じています。

この放送をお聴きになられた方も、ぜひ一度清和学園のチャペルを訪ねてみてください。パイプオルガン、ハンドベル、子供たちの讃美の歌声と祈り。神さまが私たちと共にいらしてくださることを実感できると思います。今年の6月12日の学校創立記念日で、清和は創立109年を迎えます。2人の女子教育から始まった清和学園は神さまの御言葉の上に建てられた学校です。