2010年5月9日(日)キリストの左右に座る者

おはようございます。南与力町教会の山村貴司です。
聖書には、やがて来る天国には王座があり、その王座にはキリストが、そしてその左右にはみ国にふさわしい者が座る、と教えられています。ふさわしい者とはいったいどのような者なのでしょうか?聖書のある出来事からひも解いてみたいと思います。

ある日イエスのもとに、母親が来ました。それは12弟子の中のある母親でした。彼女はひそかにイエスの元に来て、こう言いました。「あなたがやがて天の王座に着くとき、私の2人の息子を、一方はあなたの右に、もう一方はあなたの左に着かせてください」と。
さて、そのようなことを彼女が話しているうちに、それを伝え聞いた弟子たちが「憤慨して」イエスのもとにやって来ました。なぜ彼らは「憤慨して」イエスの元にやって来たのでしょうか?それは第一には、先の母親が抜けがけをして、そんな相談をイエスに持っていっていたからでしょう。けれども、それが彼らが憤慨した根源的な理由ではありませんでした。彼らが憤慨した理由‥それは、彼らの心の中にも自分たちも栄光のみ国で主の右と左に座りたい!自分たちもまた、栄光のみ国で、高いところに座りたい!そのような願望があったからではないかと思います。

はたして栄光のみ国で、いったい誰が主の右と左に座すことができるのでしょうか?キリストのみ国でいったい誰が主の右と左に座し、高いところに座ることができるのでしょうか?
イエスは言いました。“もしあなたがみ国で一番高いところに座りたいなら、今この世で誰よりも低い者、誰よりも小さい者として生きなさい!”みんなに「仕える者」、みんなに「お仕えする者」として生きなさい!イエスはここで、天のみ国では、みんなに「仕える者」、みんなに「お仕えする者」が、高い者とされ、賞賛されるのだ…と教えておられるのです。マタイの福音書20章25節のイエスの言葉です。「…あなたがたの間で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」

では「仕える者」とは、具体的にどのような者なのか‥?ここで「仕える者」と訳された聖書の言葉は、「給仕する者」、「スチュワード」、「スチュワーデス」という言葉です。すなわちそれは、大切な人のために、そのかたわらで食事を運んだり、飲み物を運んだりする者、大切な人のあらゆる事柄のために、お世話をしたり、給仕をしたりする者のことです。イエスは、ここで私たちが求めるべき姿、それは上に立つ者ではなく、皆に仕える者、皆に給仕するものなのだと教えられているのです。どうか私たちが、この地上で、一番下に立つ者、みんなに「お仕えする」者として生きることができますように。