2009年12月13日(日)あなたを照らすまことの光
おはようございます。ゆっくりとおやすみになれたでしょうか。山田教会牧師の牧田吉和です。
クリスマスがだんだんと近づいてきました。この時期、ヨーロッパの家庭や教会では、「クランツ」と呼ばれる丸い花輪に四つのローソクを立て、日曜日毎に一つ一つローソクの火をともし、クリスマスの日曜日には四番目の最後のローソクに火を点けます。子供たちは一本一本ローソクの火が増えて行くごとにクリスマスを心ときめかせて待つのです。
この時期にローソクに火をともす時、いつも思い起こすことがあります。もう15年近く前になりますが、阪神大震災のことです。当時、私は神戸に住んでおりました。その地で地震を経験しました。沢山の家が倒れ、多くの方々が亡くなりました。その時には水も止まり、電気もつかず、ローソクを灯してその灯火の下で生活をしました。光のありがたさが本当に良くわかりました。でもローソクは小さな光ですし、すぐに溶けてなくなってしまい、やはりそれだけでは不十分でした。何日かして部屋にパッと電気が灯りました。思わず知らずみんなで手をたたいて喜んだことを覚えています。
今日の聖書の言葉には「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」というキリストの言葉があります。聖書はキリストの誕生を「光が世にきた」と語っています。教会やミッションスクールでクリスマスキャンドル・サービスを行うのは、キリストが光であり、その光が世に来て、その光が人々の間に広がって行くことを示すためです。
確かにキリストは、この暗い世に光としておいでくださいました。しかし、キリストはローソクのような光ではありません。ローソクはやがてなくなってしまいます。電気の光でもありません。電気は停電で消えてしまうこともあります。キリストは地上においでになってわたしたちの罪のために十字架に死に、しかし三日目によみがえって、天に昇り、今も天において光としてそこにいてくださいます。決して消えることはありません。キリストを信じ、キリストに結びつくとき、天からの光が私たちの内に入り込み、わたしたちを照らし出します。急に電気が点いてワーと手をたたいたように、私たちの心が照らし出され、ワーと驚くように光が満ちてきます。
イエス・キリストの光はただ明るく照らす光だけではありません。天におられるキリストは私たちを愛し、私たちの罪の為に身代わりの死を死んでくださった方です。光には愛があるのです。ですから、キリストの光りを受け入れた人は神の愛に満たされます。キリストの光りには温かさがあります。私たちの心を暖めるのです。
私たちは闇の中に、しかも心が冷えるような寒い闇の中にいる時、何をしたらよいのか、どこに向かい、どこへ歩んでいったら良いか、何もわかりません。私たちは凍えてしまい、疲れ果て、希望も失ってしまいます。しかし、光としておいでくださったキリストを信ずる人は、心が光に照らし出され、何が間違っていたのか。どこが汚れていたのか。どこに出口があるのかがわかってきます。心の中が温められ、微笑や笑いも回復されてきます。イエス・キリストを信じて光を受ける人は、人生をキリストの光の下で違って見ることができるようになります。
キリストは華やかな光の下で生まれられたのではありませんでした。人々が目にも留めない飼い葉桶の中で粗布に包まれて産まれられました。でもその方の中に救いを見出す人は幸いです。その方は光の子とされ、光の中を歩むことができるようになるのです。イエスは言われました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」