2009年3月22日(日)本当の宝物とは
おはようございます。高知教会の久保浩文です。
あなたの人生の拠り所としているものは何でしょうか。何を基準に毎日を生きておられますか。
いかにも唐突かつ、ぶしつけなことをお尋ねしました。
かつては、いわゆる高学歴社会と言われ、高倍率、偏差値の高い大学に入ることを目的にし、その目的さえ達成すれば、大学に入って何を学んで卒業したかよりも、有名大学卒という肩書きが、これからの人生の全てを保証してくれる、と思われていました。いわゆる一流大学を出れば、一流企業、大企業から引く手あまたのように求人募集が来て、運よく就職がかなえば、あとは、大きな失敗をせず、無難に会社人生を勤め上げさえすれば、老後の心配もしなくてよいという考えが一般的でした。
現在は、かつての絶対的な基準、保証としていたものがぐらつき、たとえ有名大学を卒業し、社会の第一線で活躍していても、それがいつまでも続く保証はありません。ある日突然、会社の経営規模を縮小するなどと言われて、これまでの生活が一変した、という方が、私たちの身近なところにもおられるのではないでしょうか。
私の弟も、今から25年ほど前に、関東に本社のある大手電化製品の企業に入社しました。時折、まとまった休みが取れた時などは、私の所にも寄ってくれますが、いつも弟の口をついて出てくる言葉は、「いつ会社をクビになるかわからない。」とか、「リストラで、部署の異動になるかもしれない」です。彼も、これまで身につけてきたエンジニアとしての技術、経験、誇りがあります。しかし、今の日本社会の現状では、どれ一つを取り上げても彼の将来を保証してくれるものではありません。
聖書に出てきますパウロという人も、生まれた家柄もよく、学歴も、当時最高の教育機関において最高の教師によって英才教育を受けた人です。ユダヤ民族を導くユダヤ教の学者としていわば将来を嘱望されたエリートでした。しかし、そのパウロにも一大転機が訪れます。ある時、ユダヤ教に反する教えとして問題視されていたキリスト教徒を捕らえ、連行するように、大祭司から許可をもらい、意気揚々と肩で風を切って出かけました。その途上で、彼は自分が迫害しようとしていたイエス・キリストご自身と劇的な出会いをします。彼は回心してキリスト教徒となっただけでなく、これまで自分が否定し滅ぼそうとしていたイエス・キリストへの信仰を福音として告げ知らせる者に変えられたのです。後に、パウロはこの時の事と、今の価値観について次のように語っています。
「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」
パウロは、キリストを信じることによってこの世の多くのものを犠牲にしなければならなくなりましたが、彼はむしろ、そのことを喜びとし、誇りとするまでになったのです。この福音は時代を超えて、今も変わらず世界中で宣べ伝えられています。数限りないパウロたちが、次々と興されてきました。イエス・キリストこそ本当の宝、というその声に、私たちも耳を傾けたいと思うのです。