2009年2月8日(日)賛美が流れる教会
おはようございます。山下正雄です。
「教会」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かべるものは何でしょうか。それは教会堂の屋根の上の十字架であったり、ツタのからまるチャペルの壁であったり、光が差し込むステンドグラスであったり。あるいはきれいな音色のパイプオルガンであったり、キリスト教会に対するイメージはいろいろあると思います。
わたしが16歳のとき、初めて教会へ行って一番印象的だったのは、礼拝が始まる前に静かに黙祷をささげている信徒一人一人の姿でした。そして礼拝が始まると、みんなが一斉に立ち上がって歌う賛美の歌声、これも印象的でした。教会へ行ったばかりで、まだ洗礼も受けていない自分でしたが、家に帰ってきてからもふと讃美歌を口ずさんでいる時がありました。
確かにどんな宗教でも、音楽と宗教は切り離せない関係があるかもしれません。宗教は目では見えない世界を扱います。音楽は目に見えない音で心のうちにあるものを表現します。そんなことから音楽と宗教は結びつきが深いのかもしれません。その音楽の中でも、歌と礼拝とが密接に結び付いているのがキリスト教です。キリスト教ほどたくさんの歌を生み出している宗教は他にないように思います。
もちろん、日本にキリスト教が入ってきたのは西洋の文化を経由していますから、讃美歌のほとんどは西洋のメロディーです。けれども、キリスト教会が育ってきたのはヨーロッパばかりとは限りません。エジプトにもアルメニアにもシリアにも古くからのキリスト教会があって、ヨーロッパの賛美歌とは違う伝統の賛美歌があります。ですから、キリスト教と賛美歌との結びつきは、ヨーロッパの文化を仲立ちにしているということでは必ずしもないのです。むしろ、教会は生まれたときから歌う教会だったのです。
新約聖書の中に、キリスト教伝道の最中に捕らえられ、一晩牢獄につながれた人の話が出てきます。フィリピという今のギリシアの町での出来事です。その時捕らえられたパウロとシラスという二人の人物は、獄中で祈りをささげ、賛美の歌を歌っていたと聖書に書かれています。どんな讃美歌を歌っていたのか、残念ながらメロディーも歌詞も残ってはいません。しかし、キリスト教会が生まれてまもないこの時期に、すでに賛美の歌を歌う習慣が教会にはあったという実例がここにあるのです。
もちろん、歌を歌って神を賛美する伝統は、旧約聖書の時代からの伝統です。旧約聖書の詩篇自体が賛美と祈りの歌です。そしてその中には賛美の歌を導く楽器の名前も出てきます。太鼓、笛、琴、ラッパ、シンバルと様々な楽器が使われたようです。
ただ、生まれたばかりのキリスト教会にはそれほど大掛かりな楽器は持ち込まれなかったでしょう、けれども、神の救いの恵みを歌い上げ、救いの喜びを歌う気持ちは変わることなく受け継がれてきているのです。
喜びが溢れて歌となって表れるというのは、相当なエネルギーです。迫害の苦しみの最中にあってもこのエネルギーを失わなかったというのは驚くべきことです。そしてこの讃美の歌のエネルギーは今も教会の礼拝の中に息づいているのです。
今ラジオでこの番組を聴いているあなたも、ぜひ教会の礼拝の中で、この力強い賛美の歌声に浸ってみてください。賛美の歌は、神が与えてくださった救いの恵みに対する感謝と応答です。その賛美の歌の歌詞に耳を傾けてください。教会に集う人たちが何を喜びとし、何を感謝と受けとめ、どう恵みに応えようとしているのか、賛美の歌声の中にそれを聞き取ってみてください。