2009年1月25日(日)キリストは私たちの友

おはようございます。芸陽教会の宮武妃呂美です。
私たちは人生の中ですばらしい友を得ることができたら、それは本当に幸いなことです。苦しみや悲しみのときは慰め、励まし合い、喜びのときは共に喜び合うことのできる友の存在は、私たちの人生を豊かなものにしてくれるでしょう。

聖書は、「イエスはわたしたちのために命を捨ててくださいました。そのことによってわたしたちは愛を知りました。」(1ヨハネ3:13)「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)と、語りかけています。

私たちは友のために命を捨てることができるでしょうか。
クリスチャン作家である三浦綾子さんの小説「氷点」の中に、昭和29年9月に起きた洞爺丸台風のことが書かれてあります。この洞爺丸が函館の七里浜で転覆した時、救命具が足りませんでした。この時、この船に乗っていた二人の外国人宣教師は、自分の救命具を二人の日本人青年男女にそれぞれゆずったというのです。
「今の日本に若いあなたたちこそ必要なのだ」と宣教師は言ったそうです。そして、この二人の宣教師は異国の海でその最後を遂げたのです。嵐の中で、自分の乗っている船が転覆したとき、果たして私たちは自分のつけている救命具を他人にゆずることができるでしょうか。この二人の宣教師は、見も知らぬ、行きずりの他国の若者に自分のつけていた救命具をゆずったのでした。
なぜ、この二人の宣教師は、自分の命をなげうつことができたのでしょうか。それは、まさしく、自分のために命をなげうってくださったお方を知っていたからです。その神の深い愛を知り、その愛に生かされる時、人は他者に対しても自分の命を差し出すという大きな愛を示すことができるように変えられるのです。
この二人の宣教師に救命具をゆずられて助かった二人の若者は、後に、神を信じ、イエス・キリストを受け入れて、クリスチャンになったと言います。

愛するとは何でしょうか。
愛とは、この最も大切な自分の命を人に与えることこそ、愛すると言えるのではないでしょうか。イエス・キリストは神のひとり子であられるのに、私たち人間の罪のために人となってくださって、私たちの罪を代わりに担ってくださり、死んでくださいました。このキリストが私のために命を捨てて下さったことを知るとき、私たちはいかにキリストから愛されているかを知ることができます。そればかりでなく、私たちを友と呼んで下さるまでに親しみ深いお方になって下さいました。
イエス・キリストは、あなたの傍らに座り、あなたのどんな苦しみ、どんな悲しみもご存じで、共に、悲しみ、共に苦しんで下さいます。このイエス・キリストの大きな愛は、私たち一人一人に注がれています。あなたがどんな状況でも、あなたのために人となり、十字架の上で愛を示して下さったイエス・キリストは、あなたの本当の友としてあなたと共にいて下さるのです。このように本当の友を得た者は、あの宣教師たちの様に、他者に対しても本当の友となる事ができるように変えられるのです。

このキリストとの交わりがもっとも豊かになされるのが礼拝です。この礼拝において聖書の言葉が語られる時、イエス・キリストは、聖書の言葉を通して私たちに語りかけてくださり、あなたのかたわらにいて下さるのです。
どうぞ、あなたも教会の礼拝においで下さり、このキリストとの愛の交わりにあずかって下さいます様、心よりお祈り致します。